Ciao. spockです。
人と会う毎に「寒いですねぇ」って言っていますが、よく考えてみれば、今の時期はもっと寒いのが普通ですよね。
でも、これ以上寒くならず、雪も降らなければありがたいのですけどね。
さて、今回のブログは『ミートソースの話 その2』になる予定で、途中まで書いていたのですが、変更する事にしました。
それは、こんな理由からです。
先日、このブログの管理画面を見てみると、訪問者の数は普段と変わらないのに、PVが異常に多い事に気が付きました。
誰か、過去のブログまで丹念に読んでくれた人がいるんだな、と思っていたわけです。
その次の日、メールをチェックしていると、ひだっちブログ経由のメールが2件あったので、開いてみると、赤坂のタベルナ デル コッレオーニで働いていた時、アルバイトで手伝ってくれていたT君とM君でした。
件名はそれぞれ『西野さん・・・?』『懐かしい人、見っけ〜!』となっています。
一応『西野さん・・・?』とは書いてあるけれど、その内容は、完全にオレだと確信して書いてあるんですよ。
このブログには、どこにもオレの名前は書いてないし、顔もヘルメットとアイシールドで隠しているんですけどね・・・・
後で電話して聞いたところによると、たまたまT君が高山について検索していた時、ある人のブログにアップされていた画像の料理に見覚えがあったので、その料理を出す店を調べたら、このブログがみつかったのだそうです。
読んでみて、その内容と書き方から、オレに間違いないと確信したので、その当時の仲間達にメールを送ったというのですよ。
こういうメールをくれた事もうれしかったけど、ブログの内容だけでオレだと解ってくれた事を本当にうれしく思いましたね。
タベルナ デル コッレオーニが閉店してから、この年末で丸8年になります。
忘れ去られるのには惜しい店だと思うので、ここにその店の事を書きたいと思います。
タベルナ デル コッレオーニ Taverna del Colleoni が赤坂にオープンしたのは1991年の7月1日、閉店したのが1999年の12月30日でした。
ちょうど8年半営業したわけです。
場所は溜池の交差点の六本木寄り、全日空ホテルの斜め向かい、赤坂ツインタワー東館の地下にありました。
それ以前は神戸の『ベルゲン』という店で働いていたのですが、ベルゲンの料理を気に入って時々来られていた、当時ダイエーCEOの中内功氏に呼ばれて、ベルゲンのメンバー8人、ウェイターとして呼んだイタリア人6人と共に赤坂へ行ったのです。
タベルナ デル コッレオーニの内装は、ベルゲンのオーナー安田義男氏の案を具体化し、10数メートルの高さの吹き抜けがある200坪の敷地に、中内氏が自費で2億円かけて造ったもので、バブル絶頂期に計画されただけあって、もう今後は造れないだろうと思われるほどゴージャスなものでした。
下の画像を見てもらえば分かりますが、フォロ・ロマーノ風の廃墟のイメージに近付けるため、イタリアから取り寄せた大理石の柱に、わざわざ傷をつけて使うという凝りようです。
店内のホールは4つのセクションとVIPルームに分かれており、それぞれ違った雰囲気を楽しめるようになっていました。
94年のフジテレビのドラマ『29歳のクリスマス』に、実在の店として出た事があるので、見た方がおられるかもしれません。
もっとも、オレはロケの時も放映された時も見ていないので、どんなふうに映っていたのかは知りませんが・・・・
店を閉めた時、事務所にあったアルバムを持って来ました(LA FENICE に置いてあります)が、今残っている写真はこれだけだと思います。
その中から、一部をアップします。
メインホール
メインホールを別の角度から見たところ
地上階から店全体を見下ろしたところ
奥のホール
VIPルーム
中二階のホール
調理場(中央右よりに写っているのは、31歳のオレです)
タベルナ デル コッレオーニの本店は、イタリア北部のロンバルディア州ベルガモにある、歴史と格式を誇るレストランでした。
ベルガモは、ミラノからバスで数十分のところにあり、オペラ作曲家のガエターノ・ドニゼッティを生んだ町であり、多くの有名な自転車選手の出身地である事から自転車競技で有名な町であり、またイタリア最強のアメフト・ティーム
Lions の本拠地でもあります。
かなり大きな町で、近代的な感じもしますが、その中にあって Citta alta チッタ アルタ と呼ばれる丘の上の町は、中世の雰囲気を今に伝える古い町で、Funicolare フニコラーレ(ケーブルカー)で登っていきます。
その古い町の中心にある、美しい教会に隣接して、Taverna del Colleoni はありました。
ありました、と過去形で書いたのは、店自体は現在もあるのですが、10年以上も前に買収され、
Taverna Colleoni dell`Angelo と名前が変わってしまったからです。
赤坂のタベルナ デル コッレオーニがオープンする前年の1月に、ベルゲンとTaverna del Colleoni が姉妹店契約を結んだのですが、その時にベルガモまで出かけ、記念パーティーをやりました。
その翌々日の新聞(L`eco di Bergamo)に載った記事がこれです。(左から3人目が、30歳になる直前のオレです)
本店の名前が変わってしまった後、姉妹店契約がどうなったのかは解らなかったけれど「Taverna del Colleoni の名前は、この赤坂の店にしかないんだ」と思いながら働いていましたが、結局、赤坂の店の閉店と共に、その名前は消えてしまったわけです。
とはいえ、コッレオーニ家は名家であり、かつての王であり、英雄であった事にはかわりありません。
ヴェネツィアのサンマルコ広場のすぐそばに、バルトロメーオ・コッレオーニ Bartolomeo Colleoni (1395?~1475)の騎馬像が立っていますが、その傭兵隊長としての技量もすごかったのと同様に、その傲慢さもすごかったようで、
彼の墓を見るだけでも、その事が解るでしょう。
墓といえば、ベルゲンの安田氏は、店のマークにコッレオーニ家の紋章をそのまま使ってたのですが、その事を知ったベルガモの人に「お前はあの紋章の意味を知って使っているのか」と訊かれたのだそうです。
安田氏は「知らない」と答えると、その人はコッレオーニ家の紋章の謂れを教えてくれたのですが、まぁイタリアらしいというか・・・・大変な謂れだったのですよ。
長くなってきたので、続きは『
その2』で・・・・
では、また。
Ciao. Arrivederci!!