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2007年11月29日

絶品!!新そば「越前在来種」

Ciao. spockです。

寒いですねぇ。まぁ、11月も下旬ですから、当然と言えば当然なんですが・・・・
ようやく、団体の予約も入り始め、ホッとしている今日この頃です。

ところで、この冬は、雪が多いのか少ないのか。
国分寺のイチョウの葉が落ちた時、一気に落ちたから雪が多いという人と、黄色くなってから落ちたから少ないという人がいましたが、どっちが正解なんでしょうね。
オレは、何となくあまり降らないような気がするのですが・・・・でもこれは、雪が少なくなって欲しいという願望が、そう思わせているのかもしれません。


25日の昼、賛助会員になっている『奥飛騨朴念そばの会』の、そば収穫感謝祭に行って来ました。
この『奥飛騨朴念そばの会』は、納得できるそばを打つために、日本一美味いといわれる『越前在来種』の種を蒔いて育て、実ったところで手刈りし、天日干ししたものを挽くという、商売としては成り立ちそうもないほど手間暇をかけて、美味いそばを追求している会なのです。
そのやり方を貫くために、補助金なども一切もらわずにやっているのですから、頭が下がります。

実際にそば打ちや、つゆを作る正会員が10名と、そのサポートをする準会員が7名、それに賛助会員が50名の、計67名が会員です。
刈り取りの時に賛助会員の協力を求める手紙がきたので、オレも行くつもりでしたが、そういう時に限って用事ができるんですよね。
ただ食べさせてもらうだけの賛助会員になってしまいました。


この会の会長の石田さんは、ウチの料理を気に入って下さって、ちょくちょく来て頂いているのですが、来られる度にカウンターで、そばの育ち具合やこれからの予定などを、実に楽しそうに話してくれるのです。
本当にそばが好きだという事が解ります。

ちょうど1年前にも、そのそばを食べる会に招待して頂いたのですが、収穫できたそばの量が少なかった事もあり、正会員の選んだ少数の人だけが招待されたそうで、貴重なそばを、じっくりと味わいながら食べさせてもらいました。
その時に石田さんが「来年は賛助会員を募って、2種類のそばを腹一杯食べてもらおうと思っている」と言われたので、即座に賛助会員になれるようお願いした事は言うまでもありません。


11月の最終日曜日、その貴重なそばを腹一杯食べる、収穫感謝祭の日がやってきました。
期待しながら、飛騨市総合会館の会場へ向かいました。

会場に入ると、2種類のそばの実が置いてあり(左が大野系、右が丸岡系)


今日食べるそばについて書かれた紙が貼ってあります。


正会員と準会員が並び、石田さんが代表して挨拶と、これから出てくるそばについての説明がありました。
賛助会員の中には、見るからに「そんな事より早く食わせろ」みたいな感じの人もいましたが、そばについて初めて知る事が結構あり、その話だけでも面白かったですね。


さあ、いよいよそばが出てきました。
まず初めは、大野系越前在来種を使った、ざるそばです。


石田さんの説明によると、大野系越前在来種はタンパク質に特徴があり、喉ごしの良さを味わうそばなので、切り幅は約1.5mmで、濃い口しょうゆとみりんと出汁だけで作った、極めてシンプルな江戸流のつゆで食べるのが最良なのだそうです。
本来の江戸流のつゆは、かつおの出汁だけて作るのだそうですが、今回はかつおと昆布を使っているとのことです。
見た目は真っ黒で、いかにも塩辛そうなつゆですが、なめてみると実にうまい。
出汁がよく効いていて、見た目から想像するような塩辛さはありません。
そば本来の美味さを味わうために、薬味は一切入れないで食べるとのこと。
早速、啜り込みます。

ウマい!!
そばの味もさることながら、喉ごしの良さといったら・・・・
一気に喉へ流し込みたい衝動を抑えながら、じっくり味わって食べました。
途中で、テーブルに出されていた、タマネギと桜えびのかき揚げを食べる・・・・これがまたウマい!!

ゆっくりと食べたつもりでしたが、食べ終わるのに2分もかからなかったでしょう。

次に出て来たのは、丸岡系越前在来種を使った、越前おろしそばです。


丸岡系越前在来種は澱粉に特徴があり、噛み締めて味わうのがいいそうです。
そのため、約2.5mmと太めの切り幅で、ざるそばのつゆより薄目で複雑な味のつゆと合わせるのが良いとのことです。
こちらは好みで、からし大根とねぎを添えて食べます。

これもまたウマい!!
固めにゆでられた太めのそばを、しっかりと噛み締めて味わってから飲み込む。
幸せですねぇ・・・・

この2種類を食べ比べると、どちらも美味いのですが、オレはざるそばの方を好みます。
で、ざるそばのおかわりをお願いしました。
他の方達も同じように思われたのか、ざるそばの方が人気があるようでした。

石田さんに「腹一杯食べて下さい」と言われていたので、朝食をほんの少ししか食べずに来たのですが、『ヤセの大食い』を地で行くオレが、他の人の分まで食べてしまうわけにはいきませんから、初めのうちは控えめにおかわりをしていました。
で、まわりを見てみると、たいていの人が、1〜2回おかわりをしたところで席を立っていかれるのですよ。
オレからすれば「えっ、そんなんで腹ふくれたの?」って訊きたくなりますね。
そういう人が帰るのを見送る時の石田さんの表情も、寂しそうに見えます。

そういう事なら、ってなわけで、オレは遠慮なくおかわりをする事にしました。
いくら固めにゆでるといっても、おかわりをお願いしてからゆでるわけですから、それなりに時間がかかります。
なので「2枚ずつ持って来て下さい」とお願いして、出て来たそばを次々に喉へ流し込みました。

そばが美味いのは当然ですが、この喉ごしの良さと言ったら・・・・もうたまりません!!
1枚を30秒とかからずに食べていました。
いや〜、本当にしあわせです。

結局、おろしそばを2枚、ざるそばを8枚、かき揚げを3個頂きました。
でも、あの会費だけで、これだけ堪能させてもらっていいのだろうか、と思いましたね。
もちろん、来年も継続して賛助会員になるつもりですが、刈り取りの時には絶対に手伝いに行こうと思います。
そうでなければ、バチが当たります。


「どうしてイタリア料理を選んだのですか」と訊かれる事がありますが、オレの答えは決まっています。
「ウチの家系は例外なく、イモと麺類が好きだから」
さらに言うなら、固い麺類やご飯が好きなオレにとっては、固いのが当たり前のイタリア料理が感覚的に一番合っていたわけです。
そんなオレも、今回のそばには本当に満足しました。

来年は、もっと収穫量を増やせるようにするそうですが、この越前在来種が飛騨の地に適合できるなら、もっと増やして行って飛騨の特産にしたいと、石田さんは話してくれました。
本当にそうなったらいいと、オレも思います。

前々回のブログで、『オレは『作る人』タイプのマニアックな遺伝子を強く受け継いだ人間である事は間違いないと思います』と書いたけれど、石田さんや他の正会員の人達も、同じタイプなのだと思います。

収穫できるそばの量には限界があるので、会員を増やすのは難しいのだそうですが、奥飛騨朴念そばの会が取り組んでいる事を理解し、協力してくれる人が増えていく事を願ってやみません。

もう今から来年の収穫祭を楽しみにしているのですが、オレも負けないように料理を作っていこうと思うのです。

では、また。
Ciao. Arrivederci!!  

Posted by spock at 17:05Comments(6)

2007年11月13日

類は○○を呼ぶ!! その2

Ciao. spockです。

では、類は○○を呼ぶ!! その2です。(その1は、こちら


そういう遺伝子を受け継いだからなのか、オレの行動における基本的な考え方は『人と同じ事をやらない』事なんですよ。
だから、オレが LA FENICE を始める時、まず考えたのは『他にはない店にしよう』という事で 、その上で自分の理想にできるだけ近いやり方を考えていたら、今のやり方になったわけです。

で、オープンしてすぐに同業者が何人か来ましたが、その中の一人に「オレもこういう店をやりたかった」って言われたのですよ。
そりゃそうでしょうね。こういう仕事をしていて、できるだけ自分の納得いく仕事をしようと思えば、オレのやり方はかなり理想に近いと思います。
ただし、このやり方でやる場合、絶対にやってはいけない事があるのです。
それは『儲けようとする事』なんですよ。
要するに、『理想』と『儲け』は相反するわけで、両方とも求めてはダメなんです。
で、オレは儲ける事より理想を追う事を選んだわけです。
だから相変らず、毎月、月末が近づくと、今月の支払いは大丈夫だろうかって、ハラハラし通しですけどね。


実を言うと、最新号の解には、LA FENICE が載っています。

山本さんが、バックナンバーを持ってウチに来られた時に、この店の事を取材させてほしいと言われたのですが、ウチなんかでいいのか、と思いましたね。
でも、実際に解を読んでみて、二つ返事でお受けしました。

都市伝説(まちでんせつ) 謎に迫る というページなのですが、早い話が「この店は、こんなやり方で本当にやっていけるの」というような、ある意味でマニアックな店を取り上げているのですよ。(まぁ、ウチのためにあるようなページではありますね)
で、ウチの店に対してつけられた見出しが
絶滅に瀕しているトキよりも この店は案外、貴重なのかもしれない。
そして、本文の最後は「ここは訪れる客も店同様に、貴重な存在なのである。」としめくくられているのです。

山本さんをウチに連れてきたK先生は、その原稿を見て「もうちょっといい事を書いてもらわないと・・・・」って言われましたが、オレはスゴく気に入ってます。

取材の時、山本さんと1時間以上話していましたが、オレと全く同じような話が次々と出て来て、「あぁ、やっぱり」と思う事ばかりなんです。
例えば,「人間の奥行きは、それまでに、どれだけムダな事を真面目にやったけで決まる」というオレの考えと、全く同じような事を山本さんも考えていたそうなんですよ。(少なくとも自分は薄っぺらい人間ではない、と思っている事も同じでした)
類は何とかを呼ぶ、という言葉をこれほど実感する事も、そんなにはないだろうと思いましたね。

最近山本さんが来られた時に、気になっていた事を訊いてみました。
この本はどれくらい売れているのかって・・・・
定期購読者が260人くらいと、本屋で売れるのが350冊前後の、計600冊くらいなのだそうです。(オレは、その半分くらいかと思っていました。おみそれしました。)
今までは季刊でやっていたけれど、ひとりで全てをやるにはいささかキツいので、これからは年2回の発行になるそうです。
この本が全ての人に受入れられるとは思えませんが、このブログや、ウチのパンフレットを面白いと思って読んで下さった方なら、きっと楽しめると思いますよ。値段は850円です。


話は変わりますが、7日のランチの営業は貸切りでした。
普段はヒマな店なのに、そういう時に限って、これから行きたい、という電話がかかって来るのは何故なんでしょうね。(電話を下さった方々、ごめんなさい。他の日だったら大丈夫ですからね。お持ちしてますよ!!)

で、その貸切りの予約を入れて下さったのが、埼玉県で個人で旅行会社をやっておられるMさんでした。
15〜6人でランチの摂れる店を探していて、たまたまウチを見つけたのだとか・・・・
ちょうど1週間前に下見に来られた時、ウチのパンフレットを渡したところ、食事の後にずっと読んでみえたのですが、最後のページのオレの事について書いてあるところを読んで、あまりにも似ているので驚いたのだそうです。
クラシック音楽が大好き、自転車と水泳をやっている、つい最近までハイドロ・シトロエンに乗っていた・・・・そしてB型。
これも、類は何とかを呼ぶ、という事なんでしょうかねぇ・・・・・

Mさんは、ウチのランチを気に入られたようで、喜んで帰られたのですが、後で電話がかかってきて、あと200円くらい出すのでコンソメを付けて欲しいと言われたのです。
一瞬考えましたね。ウチのブロード(いわゆるブイヨンの事。これにさらに手を加えてコンソメになる。)は、原価だけでも1ℓで1000円近いのですよ。
とすると、コンソメにした場合の1人分の原価は・・・・
でも、Mさんの連れて来るお客さんは、高山へ着いて最初の食事をイタリア料理にしようという人達です。
そんな人達なら解ってくれるだろう、という自分の直感を信じてコンソメを出す事にしました。
まぁ、まったく儲けのない値段でしたけどね。(ランチのソースにブロードを大量に使いながら、こんな事を考えるのも、ヘンと言えばヘンですが・・・・)

で、結果から言えば、オレの直感は正しかった。大喜びしてもらえました。
前の日に、12時間かけてブロードを仕上げたかいがあったというものです。
何でもその人達は、旅先で食べ歩きをする団体だそうで、そのためにMさんが、日本各地の「これは」と思う店を探しているのだそうです。
Mさんがウチをみつけたのは偶然なのか、それとも類が呼んだのか、それは分かりません。
でも、後の方だと信じたいですね。

そのお客さん達が帰る時、ほとんどの方がオレに声をかけてから出て行かれたのですよ。
中には、3分以上も話し込んで行かれた方もありました。
儲ける事よりも理想を追う事を選んだオレにとっては、喜んでもらえたお客さんから声をかけてもらえる事が、一番のご褒美なのかもしれません。
まぁ、仕事を理解してもらえると、うれしくて一層仕事に身を入れてしまい、ますます損をしてしまったという、昔の匠達の気持ちがスゴく理解できる出来事ではありました。


昔、類い稀なる能力を持った匠達は、旦那衆の下にしか、その能力を発揮する場所がなかったわけです。
今、オレにはありきたりの能力しかないけれど、自分の店を持ち、店に来てくれたお客さんに料理を出して喜んでもらう事ができる。
本当に幸せだなぁ、って思いますね。
 
10月はめちゃめちゃヒマだったせいで、化け猫のエサ代にも事欠いていますけど(笑)、でもこの店は何とか続けて行かなければ、って思います。

『高山人』の遺伝子を強く受け継いだオレが作ったイタリア料理が、高山で、どう受入れられていくのでしょうか。
そしてこれから、類はどんな○○を呼ぶんでしょうか。
楽しみにしているんですよ。


では、また。
Ciao. Arrivederci!!  

Posted by spock at 16:25Comments(12)

2007年11月13日

類は○○を呼ぶ!!  その1

Ciao. spockです。

もう11月も中旬かぁ・・・・オレが高山へ帰ってきてから、もう丸3年経ちました。

今年もあと1ヵ月半・・・・と思うより先に、クリスマスのメニューはどうしようかと考えてしまうのですけどね・・・・

「歳を取るほど月日の経つのが速く感じるようになる」って、20年以上も前に母が言っていましたが、50歳まで後2年と少しになった今、それを実感している今日この頃です。


さて、このブログも久しぶりの更新になりますが、例によって長くなるので、今回は2回に分ける事にします。
では、その1です。


『解』という雑誌が出版されているのを御存知でしょうか。



この画像は、先月の25日に出た最新号ですが、高山のほとんどの書店で手に入るそうです。

奥付を見ると『編集人兼発行人 山本純一』とありますが、山本さんが一人で、取材、撮影、編集、発行をされているのです。


山本さんをウチに連れて来たのは、ウチの料理とカウンターの雰囲気を気に入ってよく来て下さる歯科医のK先生でした。
K先生は映画とサッカーのマニアで、かなり深い知識を持っておられるようなのですが、オレはその両方共に門外漢なので、その話題で盛り上がる事はありませんが、マニア或はオタクとしての共感があるせいか、話していて楽しいのですよ。
人間関係で一番重要なのは『共感』だと思っているオレにとって、対象がなんであれ、物事をマニアックに追求できるという事が、大切な友人にできるための重要な条件なんです。
まぁ、そんなK先生が連れて来る人ですから、マニアックな人である事は何となく想像できましたが・・・・・話してみると全くその通りでした。


で、後日、山本さんは『解』のバックナンバーを1冊持って、ランチに来てくれました。
早速見せてもらうと、驚いた事に、ほとんど広告がないんですよ。
思わず「暮らしの手帖みたいですね」と言ったら、「暮らしの手帖にも3冊送って、意見を聞かせてもらうように頼んだけれど、返事が返ってこない」って山本さんは言いました。

でも、実際に読んでみると、客観的な感想を言うのは難しいですね。
書かれている事のほとんどが、山本さんの感覚を通して書かれているわけですから、これほど主観的な内容の雑誌も珍しいと思います。
だから、この雑誌はハッキリと好き嫌いが分かれるでしょうね。
山本さんもオレと同じで『八方美人』を嫌うタイプだと見ました。
要するに「解る人にだけ解ってもらえばいい」という事です。


全然儲けの出ない店をやっているオレが言うのもなんですが、高山のような人口の少ない地方都市で、広告もほとんど無く、自分の興味のある事だけを突き詰めて文章にするという、そんな雑誌を発行していて成り立つのだろうかと、人ごとながら心配してしまいましたね。
まぁ、端から見れば、オレも同じように見えるんでしょうけど・・・・・
そういう意味で、オレと同類だという事はまぎれもない事実なわけですね。

まぁ、解にしろ、LA FENICE にしろ、こういったマニアック路線を突っ走るようなやり方を、高山でやるのは難しいと誰もが思うでしょうね。
実際、オレがこういう店を始めるって言った時、何人もの人から、高山でそんなやり方をしても商売にならないって言われましたからね。
でもオレは「何とかなる」って、ズーッと思っていたのですよ。
なぜなら、住んでいる人を含めた高山の町自体が、紛れもなくマニアックな存在だと、オレは思っているからなんです。


現在の高山は、観光都市として成り立っているわけですが、観光地として有名な他の地方都市と比べた場合、高山は飛び抜けて観どころが多いですね。
京都のような大きな観光地は別ですが、高山クラスの大きさの観光地なら、たいてい半日もあれば廻ってしまえます。
でも高山は、1日では廻りきれないでしょう。
それは、観るべきものが、たくさん、いい状態で残っているからなんですよ。
じゃあ、何故それだけ残っているのか・・・・・


どういうわけが、オレは子供の頃から高山の歴史に興味を持っていて、いろいろ調べていたのですが、戦前まで、要するに農地改革で旦那衆が没落してしまうまでの高山は、他に類のない、独自の文化を築き上げた『超文化都市』だったのだと思います。
もともと、下々の国と蔑まれていた飛騨の国に、そんな文化を築き上げる事ができたのは何故か・・・・それは、旦那衆と呼ばれた豪商達と、飛騨の匠と呼ばれた名工達が存在したからでしょう。

コツコツと貯めたカネを元に、商売と高利貸しでカネと土地を増やし、さらに天領の木材を一手に扱う事で莫大な資産を作った豪商達と、他に並ぶ者のない木工技術を持ち、千数百年の昔から名を知られた『飛騨の匠』達。
ヨーロッパで、貴族達がパトロンとなって、芸術家達に後世に残る仕事をさせたのと同じ事なのかもしれません。


ただ、素晴らしい技術を持った職人達は、例外なく貧乏でした。なぜなら、自分の満足する仕事をするために、自分の貰う賃金以上のカネをかけてしまうから。
「貧乏したけりゃ、ええ大工になれ」・・・・それほど匠達の仕事に懸けるプライドには凄まじいものがあったのですね。
与えられた木材が気に入らなければ、自分で気に入るものを買ってきて、何食わぬ顔で仕上げる・・・・そういう仕事を理解してもらえると、うれしくて一層仕事に身を入れてしまい、ますます損をしてしまう・・・・カネが残るはずがありません。

また、そういう匠達の技が活かされたのは、匠達の職人気質を理解し、上手く利用した豪商達の存在があったからこそだと思います。
飛騨では手に入らない物にはカネに糸目をつけず取り寄せているのに、飛騨の職人達には驚くほど安い賃金しか出していないのは、おそらく、匠達に対して最低限のカネしか出さないかわり、仕事に対しては一切口を出さない事で、匠達の最高の成果を引出せる事を解っていたのだろうと、オレは思います。
そういう職人気質の匠達と、それを理解して使った旦那衆・・・・この両方が揃っていたからこそ、現在高山に残っている著名な建造物や祭の屋台ができたわけです。

でも、それにも増して重要な役割を果たしたのが、それらを受入れ、守り、維持してきた人達の存在です。
どんなに素晴らしいものができても、それの価値を理解して、きちんと維持する人がいなければ、後世に残す事はできませんね。
高山に、これだけ匠達の作品が多く残っているのは、そういう人達がたくさんいたという事を証明していると思います。

現在の高山があるのは、『作った人』『作らせた人』『維持してきた人』が揃っていたからだと言えるのですが、作った人も、作らせた人も、維持してきた人も、みんなマニアックな人達だと思います。それも、かなり重度の・・・・
もともと、そういう性質を持っていたのか、歳月の積み重ねの中で身に付けたのかは分かりませんが、高山人には 代々そういう遺伝子が受け継がれているのだと思いますね。

そう考えれば、上に書いた山本さんにしても、オレにしても『作る人』タイプのマニアックな遺伝子を、強く受け継いだ人間である事は間違いないと思います。

以前、このブログに『職人の美学の話』というタイトルで書いた事がありますが、オレは職人の家系に生まれ、職人としての誇りを持って生きてきたわけです。
どうも、その血というか、代々受け継がれきた遺伝子が、オレにそういう生き方をさせているようです。(まぁ、匠達のような類い稀なる技術までは受け継げなかったようですがね)


このあとは、その2に続きます。(たぶん、今日中にアップできると思います)

では、また。
Ciao. Arrivederci!!  

Posted by spock at 08:31Comments(4)