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2022年11月26日

新サーヴィス始めます

Ciao. spockです。

長い間更新せずにいましたが、その間に覗いて下さった方には、お詫びすると共に感謝しております。
コロナ禍の影響で、店の営業にも変化がありますが、そういう流れに対応していかなければならない事を実感させられますね。

そんな訳で、LA FENICE では新しいサーヴィスを始めます。
実際のところは、サーヴィスと言うより『還元』と言うべき事なんですが、ここから、そのサーヴィスを始めるに至った経過や、詳しい内容など書いていくので、手っ取り早くその内容について知りたいという方は、下の赤い大文字のところまでスクロールして下さい。


ウチがあまり儲けの出ない商売をしている事は、周知の事だと思うのですが、5年ほど前からは本当にヒドい状態でした。
常に赤字たれ流し状態だったけれど、オレ自身がこういう店をやりたくて始めたのだから、営業形態を変えるつもりは全く無く、最悪の場合は店を閉めて、後は借金を返しながら生きていくしかないと考えていたわけです。

そんな事をしていれば行き詰まるのは当然で、3年前の秋頃には、もうどうしようもない状況になっていたのだけれど、そんな時に手を差し伸べてくれたのが、ある企業の社長さんで、その方は家族揃ってウチの料理を気に入って、よく来てもらっていたのだけれど、ウチの状況を知ると、個人的な融資を申し出て下さった上、銀行の経営コンサルタントの人を連れてきてアドヴァイスをしてもらったりもした。

ただ、そのアドヴァイスを聞いた時に、「それをやると、この店の良さが無くなってしまう。」と言ってもらえた事には、本当にウチの事を解って貰えているのだな、とありがたく思ったのだが、結局、良い方法も見つからず、金融機関からの融資も受ける事ができなかった。

また、他のグループ企業の社長さん(この企業の社長会をウチで良くやってもらっていた)から、「高山にはこういう店が絶対に必要だから、ウチの傘下に入って続けていかないか」と声をかけてもらったが、先の社長さんとの話し合いで、このまま続けていく事になった。

それから約半年、自転車操業で必死になってやりくりしていたが、2020年4月、もうこれ以上は無理かなと思い始めた時、飲食業界に給付金が出ることになり、さらには超低金利での融資制度も導入されるとの情報が入ってきた・・・・本当に『首の皮一枚でつながった』のである。

とは言うものの、コロナ禍の状況で、このまま続けていけるのかという不安は常にあったし、もらった給付金の残高も減る一方で、どうなってしまうのだろうと思っていたところ、時短営業を条件に協力金が出ることになった。

ウチはもともと1日に2組限定で予約を受けてやってきたのだけれど、コロナ禍の間は1日1組だけに限定して、予約のない日のディナーは休業し、ランチは通常どおりに営業する事にした。
その間の売上は微々たるものだったけど、協力金のおかげで、全く心配する事なく営業を続けられたのは本当にありがたかったし、特にウチのような従業員を使わないでやっている店の場合、給料を考えなくてもいいので、貰った協力金を全て店のために使えるため、些か貰い過ぎているんじゃないかと思っていたくらいだった。

その後数回にわたって、時短営業の協力金を受け取った事で、借金を全て返済する事ができ、さらに少しの余剰金までできたのだけれど、正当に受け取ったお金とはいえ、他の苦しんでおられる業界の方の事を考えると、なんとなく後ろめたい気持ちもする。
その事をお客さんに話したら、「それは店を続けろという事だから気にしなくていいんですよ」と何人もの方から言われた。

そんな事をいろいろ考えていた時、何か新しいサーヴィスを始めれば還元できる、と思いついた。
それも、ウチにしかできないような、お客さんに喜んで貰えるサーヴィス・・・・その時思いついたのが、お客さんを家やホテルまで送る事。
1日1組限定で予約を受けているウチにしかできないサーヴィスだから、特にワインなどを飲まれた方にとっては、きっと喜んで貰えるだろう。
余っているお金で店用にクルマを買って、オレが送って行けばいい。

そこまで思いつけば、あとは速い。
クルマは何にするか・・・・まぁこれは所謂セダンしか考えられないのだが、そうなるとアレしかない。
オレの最も好きなセダン(と言うよりイギリス風にサルーンと言うべきなのだが)、ジャガーXJ、それもX300と呼ばれる、ジャガー最後のストレート6エンジンを載せたモデル。


現在の太ったネコのようなジャガーではなく、低く細いその伸びやかな肢体は、本当にJAGUAR(英語の発音ではジャギュア)らしい雰囲気を持った、オレが世の中で最も美しいと思っているサルーンだ。


ここ数年、4ドアクーペというタイプのクルマが多く見られるようになったけど、30年以上も前にジャガーは、4ドアクーペよりもスタイリッシュなボディーを造り出していたのである。


ただ、そのスタイルと引き換えに、全長が5メートルをわずかに越える車体ながら、乗ってみると中は意外に広くないし、トランクルームも広いけど高さがないので、あまり荷物は入らない。
そういう弱点のため、このスタイルが他のメイカーに真似される事はなかったけれど、このデザインは世界中のデザイナーに影響を与えたようで、同時期のBMWの7シリーズは明らかに似ていると思うし、高さを低く見せるためにいろいろな工夫をしているのが良く分かる。

ちなみに、ジャガーもその事はよく解っていたようで、その弱点を無くした、ジュジャーロによるデザインのコンセプトカー『ケンジントン』を発表したけれど、結局お蔵入りになった。(そのケンジントンのデザインは、後にトヨタの『アリスト』になったと言われている。)

X300は94年の10月から約3年間だけ発売され、エクステリアはそのままにフォード製のV8エンジンを載せたX308にとって変わられてしまったので、良い状態のものを探すのが難しそう。
でもX300は、当時の輸入車の中で一番壊れなかったとクルマ業界の人が言っていたし、内装の上質感、メーター類の見た目や視認性(老眼でも見易い事)、機械としての信頼性でも、後のX308よりずっといい(X308はトランスミッションやブラスティック製の部品がよく壊れた)ので、なんとしてでも良い状態のX300を探し出したい。

まぁね、イタリア料理の店ならアルファローメオかランチァの方がいいんじゃない、って言われるかもしれないけれど、免許を取って最初に手に入れたクルマが17年落ちの12気筒のジャガーという、ちょっとクルマに詳しい人なら絶対に避けるような、突っ込みどころ満載な事をやって、その世界にドップリと浸かってしまったオレにとっては、これが一番自然な事なんだと思う。(そのジャガーの話はこちら)

同じ12気筒のエンジンでも、常に存在を周りに知らせようとするフェッラーリのそれよりも、黒子に徹して静かに回る『執事』のようなジャガーのエンジンの方がオレには好ましく思えるし、そういうジャガーの世界が好きなんだな。

で、ちょうど1年前ヤフオクに、半年前までワンオーオーだったというX300のXJが出品され、値段は40万円で、妥当なところだと思ったので、入札しようとしていたら早期終了してしまい、残念に思っていたところ、たまたま見た東京のジャガー専門の店のウェブサイトで、99年式のXJR(X308のスーパーチャージド版で、ダイムラーベンツ製のトランスミッションを搭載し、壊れない上に燃費もいい)を見つけたので電話してみると、残念な事に売れた後だった。

タイミングが合わないと、見つけるのはなかなか難しい・・・・それでも諦めずに探していたら、3月にヤフオクで、以前見かけたX300を見つけた。
出品者は埼玉県のイギリスの古いバイクを扱っている店で、数ヶ月の間、その店で所有されていたようだが、エアコンベルト交換済みとなっているので、少しは手を入れられたようだ。

終了時間少し前に競り合って、前回出品された時より少し高く入札したのだが、他の人に落札されてしまった。
ところが、その落札者がアカウントを消して逃亡してしまったため、翌週再出品され、ついに落札する事ができた・・・・しかも、前回の入札金額より4割も安く。

すぐに手続きをして送金し、書類を先に送ってもらったところ、しつかりとした専用のブリーフケースに、最初から最後までの全ての整備記録と取り扱い説明書が全部揃って入っており、その記録を見ると、しっかりと手が入れられている事が分かった。
多分、当たりの個体だと思うのだが、安く手に入った分、整備にお金をかけてやろうと思っている。

2月で車検が切れているので、仮ナンバーを借りて埼玉県まで取りに行かなければならない訳だけれど、車検をどこで受ければいいか迷っていた時に、クルマ好きのお客さんに話したところ、「それならいいところがありますよ」と言って、わざわざ連れて行って(彼は自慢の秘蔵車で連れて行ってくれるつもりだったそうだが、雨のためファミリーカーで行く事になったけど)紹介してくれたのが、アウトピスタさん。

アウトピスタは道路から奥まったところにあり、この前を何度も通っているのに全然気がつかなかった。
奥へ入って行くと、マニアックなクルマが何台も並んでいる。
一度道路ですれ違った事があるランチァ テージスがあって(フェッラーリなんかよりも、こういうクルマの方が惹かれるね)、高山にもこんなマニアックなクルマに乗っている人がいるんだ、と感心しながら中へ入る。

オーナーの石塚さんを紹介してもらい、少し話しをすると、「あ、これはオレと同じタイプの人だ」と感じたので、もうその時点でお願いする事を決めていた。
以前、出先で止まってしまったジャガーXJ-S を預けてきた御殿場の工場の人もそうだったけど(その時の話はこちら)、こういう人に任せておけば間違いない事は経験上分かっているから。

近々、ジャガーXJ X300を高山へ運んでくる事、車検が切れている事など話した上で、車検整備をお願いすると、早くても1ヶ月後になると言われたけれど、時間がかかってもお願いしたいと話し、その後しばらくクルマ談義をして帰ってきた。

その一週間後、仮ナンバーを持って、バスで埼玉へ向かった。
帰ってくる時に事故を起こしては大変なので、保険もしっかりと掛けていった。
クルマを受け取って、すぐに高山へ向かったのだが、その時点でいくつかの不具合がみつかった。

エアーバッグの警告が出ているし、シートベルトのキャッチが弛いし、エアコンが効かない。
サスペンションも少しへたっているみたいだ。
まぁ、この辺は想定内の事で、整備してもらえばいいのだが、肝心のエンジンとトランスミッションはと言うと、高山までの約300kmを、途中で少し休憩しただけで一気に走らせてきたけれど、全く何の問題もなく帰ってこれた。

燃費も10km/l 近くまで伸びたので、4リットルのエンジンに4速ATという事を考えると、上出来だと思う。
しっかりと整備してもらえば、かなり良い状態になる事は間違いない。


と、ここまでが数ヶ月前の事。
その後、ずーっと待っていたのだけれど、なかなか順番が回ってこない。
というのも、ここの常連のお客さんのクルマで常に一杯のところへ、何とか入れて貰おうというのだから仕方がない。

それが最近になって、やっと工場に受け入れてもらえた。
長く待った分、じっくりと整備してもらうつもりなので、足周り全取っ替え、なんて事もあるかもしれないけど、その分長く楽しめる訳だ。

車検整備が終わり次第、新しいサーヴィスを始める予定なので、もうしばらくお待ち下さい。


新しいサーヴィスの内容

ディナーコースを利用されたお客様を、自宅やホテルまでお送りします。(お迎えはできません)
使用するクルマは、上記のジャガーXJ。

人数は最大4人まで、お送りできる範囲は旧高山市街地内となりますが、ある程度の融通はきかせます。

新型コロナ収束後、以前のように1日2組の予約をお受けするようになった場合は、後の組のお客様のみご利用いただけます。

このサーヴィスは無料ですが、このサーヴィスを利用されない場合に、料理の代金を割引する事はできませんのでご了承下さい。

現在車検整備中なので、整備が終了次第サーヴィスを開始します。
開始時期は、このブログとFacebookでお知らせします。


では、また。
Ciao. Arrivederci!!  

Posted by spock at 11:51Comments(0)クルマ出来事

2021年07月01日

17年目に入ったけど・・・・

Ciao. spock です。

まん延防止等重点措置の解除から10日経ちましたが、人の流れは少ないですねぇ。

やっと夜の予約が入り始めたので、何とかなるかな、とは思いますが、まだまだ険しい道が続くようですね。


さて、おかげ様で LA FENICE は、今日から17年目に入りました。

いつもの年なら、恒例の感謝パーティーをやるのですが、新型コロナウィルスの影響で、去年に続き、今年もパーティーはできませんでした。

去年は、15周年とオレの還暦の感謝パーティーになるはずだったのに、新型コロナウィルスの影響とオレの入院と手術が重なったため中止になったので、今年はその分も含めて、16周年のパーティーを盛大にやろうと思っていたけれど、今の状況では諦めるしかありませんね。

本当に残念です。


毎年パーティーに来てくれるノアドココさんが、パーティーの様子を撮影して編集してくれた動画が YouTube にアップされているので、紹介したいと思います。

2019年 14周年とミシュランガイド掲載感謝パーティー
https://youtu.be/dCKgatBF1D4
2018年 13周年感謝パーティー
https://youtu.be/5pgJHJ5Pp2Q

こうして見てみると、その時の事をハッキリと思い出す事ができます。


来年は、できなかった2年分も含めて、盛大にやりますよ!!

早く新型コロナウィルスの影響が収束してくれることを心から願います。


では、また。

Ciao. Arrivederci!!  

Posted by spock at 23:09Comments(0)出来事

2021年02月03日

テイクアウトができる方法

Ciao. spock です。

立春とはいえ、寒いですねぇ。
ただでさえヒマな状態が続いているのに、この寒さでは、お客さんが来る気がしませんね。
まぁ、新型コロナウィルスの感染を広げないためにはいいのでしょうが・・・・

先日、『みんなで応援商品券』第2弾の取扱加盟店登録をしてきました。
2月26日から5月31日まで、プレミアム付き商品券を使ってもらえますが、これで少しでも高山が活性化してくれるといいですね。


現在、県からの時短営業要請の延長により、2月7日(日)まで夜の営業は、酒類の提供は19:00迄で、20:00に終了しています。(3月7日まで更に延長されるようですが)


そのため、ディナーコースの予約は、18:00までに開始する予約を1日1組限定でお受けしています。

予約が入っていない日は基本的に休業になりますが、来店される30分前までに電話をもらえれば、カウンターで食事をして頂く事は可能です。
ただし、酒類の提供は19:00迄で、20:00には閉店しますので、早目に来店される事をお勧めします。


さて今回の本題です。
コロナ禍に入って以降、多くの飲食店でテイクアウトが行われていますが、ウチでは基本的にやりません・・・・というのも、バターやチーズ、生クリームを多用する北イタリア料理は、少しでも冷めると固まってしまい、まったく美味くなくなってしまうので、料理のプロとして、間違ってもそんな事をするわけにはいかないのです。

ただ、テイクアウトできるものや、テイクアウトするための方法はあるので、その事について書いてみます。

ウチのお客さんで、月に2~3回は夫妻で来て下さる方がおられるのだけれど、一昨年の春、急に九州への転勤か決まり、その直前に来られた時に、「私たちが帰ってくるまで絶対に店を潰さないでよ」と言って、引っ越されてしまった。

それから2ヶ月ほど経った頃、「禁断症状になっているので、生ハムと野菜スープを10人前ずつ冷凍にして、着払いで送ってほしい」というメールがきたので、
生ハムを1人前ずつアルミフォイルとラップで包んでグリッシーニを添え、


野菜スープも1人前ずつラップで包んで必要な量のバターとパルミジャーノ レッジャーノも用意し、


箱詰めしてクール宅急便(冷凍)で送った。


その後、リゾットやニョッキも送ったのだが、作り方を電話で丁寧に話した事もあって、九州でウチの料理を楽しんでもらえたようだ。(その後、予定より早く帰ってこられて、以前と同じように通ってもらっている)

そう考えると、生ハムやサラミなどは、スライスした状態でテイクアウトできるし、パスタ類も、ソースをテイクアウトし、茹でたパスタに温めたソースを合わせてもらえれば、ウチの味を(100%とは言えなくても)かなり近い状態で食べてもらえるのではないかと思うのです。

もちろん、ウチの料理をよく解ってもらっている事(味を憶えている事)と、ある程度の料理技術を持っている事が必要ですが・・・・

先日、ずーっとウチを贔屓にしてもらっているお客さんが家族でランチに来られた時、そんな話をしていたら、「ぜひ挑戦してみたい料理があるので材料を分けてほしい」と言われ、お渡ししたのがコレ。


イカ・タコ・アサリは自分で用意するとの事だったので、冷凍のオマールだけ渡したのだけれど、作り方の参考として、次の動画を紹介しておきました。


この『オマールと魚介類のワイン蒸し』は、これ以上シンプルにしようがないという、本当にイタリアらしい料理なのだけれど、シンプル故にごまかしが効かないので、そういう意味で難しい料理だと思う。

そのお客さんは、イタリア料理に関してはプロ級の方で、他の材料もきちんと手に入れる事ができる方なので、こちらも安心してオマールを渡したのだけれど、希望されればオマールとイカ・タコをセットにしてお渡しすることも可能なので、あとアサリを用意してもらえれば、すぐにもできるわけです。


テイクアウトにはまったく向かないウチの料理でも、やり方によっては家庭でも味わってもらえる方法があるわけですが、上にも書いたように、ウチで実際に食べて味を知っている方限定ですので、詳しいことは、お問い合わせ下さい。


ところで昨日、毎年恒例の節分の護摩を焚きに行ってきました。


今年は規模を縮小して行われたのため、毎年2ヶ所でやる焚き上げを1ヶ所でやったので、焚き上げが終わるまでに結構時間がかかりましたが、また今年も1年無事に過ごせそうです。


節分が2月2日になったのは124年ぶりだそうですが、詳しい方の話によると、立春になる正確な時刻が2月3日の23時59分なので、1分の差で1日早くなったのだとか。

地球の自転の揺れによるものだそうですが、これからしばらくは2月2日が節分になるようですね。

でもまぁ、早くコロナ禍が過ぎ去って、普通の暮らしができるようになってほしいものです。


では、また。
Ciao. Arrivederci!!  

Posted by spock at 20:50Comments(0)出来事料理

2020年12月30日

手術から半年、元気にやってます。

Ciao. spockです。

このところ、何人ものお客さんから、「ブログやFacebook が長い間更新されていないので、身体の具合が悪いのかと心配していました」と言われたのだけれど、かれこれ5ヶ月以上も更新していなかった。

例年ならいろいろ書いている行事が、すべて中止になってしまったということもあるのだけれど、人生初の入院と手術という大きな経験をした後では、少しくらいの事では書く気になれなかったというのが本当のところかな。

退院してから1ヶ月位経った頃から、自分のための忘備録として、入院中の事を思い出しながら、日記以上に事細かく出来事を書いたりもしていたので(そのうちに読み物として公開してもいいかと思っている)、その所為もあったのかもしれないが、まぁ、これからは少しずつ、ブログもFacebook も書いていく事にします。


さて、本文に入る前に、時短営業のお知らせです。
県からの要請で12月25日から時短営業をしていますが、コロナ禍に突入して以来、1日1組に限定して予約をお受けしているので、その1組の予約が終わった時点で閉店になります。

9時には閉店できるように、7時までに開始できる予約のみお受けしています。
また、予約が入っていない日は、カウンターで単品料理をお出ししますが、空席状況を電話で確認の上、来て下さい。


えーっと、本文に戻って、おかげ様で身体の方は順調に回復しているみたいで・・・と言っても、まだ時々傷がムズムズする事があるのだけれど・・・退院後2週間で店を再開し、それ以降はまったく問題なく普通に生活しています。(退院後に報告として手術の内容などを書いたブログはこちら

手術後4週間目に富山大学附属病院へ行って術後の検診をしてもらった時に、悪いところはすべて取り除いたので何も問題はないが、完璧という事はないので定期的に久美愛厚生病院で診てもらうように、と言われ、久美愛厚生病院の医師に渡すデータを貰って来たのだが、最後に運動をしてもいいか訊いてみると、水泳は大丈夫(いつもプールで泳いでいる事を話したのを先生は覚えていてくれた)だけれど重いウエイトを使うような運動はしないように、と言われた。

一応大事をとってしばらく休み、8月の終わりからプールに行き始め、以前と変わる事無く泳いでいるのだけれど、体質が少し変わったのか、以前より脂肪が付き易くなったような気がするので、本気でシェイプアップしなければ、と思っているところ・・・・まぁ、還暦を過ぎたら、体質も変わるのかもね。

12月の10日に、前回から半年ぶりのCTで検査をしてきたのだが、手術からちょうど半年経った22日、結果を訊きに行ったところ、まったく問題は無いと言われたので、このまま問題なく完治してくれるのを、じっくりと待つ事にしようと思っている。

  
店の方もコロナ禍以前に比べて予約数が増えているくらいで、ようやくミシュランガイドに載った効果が出てきたのではないかと思っていたのだけれど、12月に入ってからは失速している感じですね。

飛騨地区以外からのお客さんが多いのは相変わらずで、新規の方以上にリピートの方が多く、高山へ来る一番の目的がLA FENICE で食事をする事だ、と言って下さる方が結構おられるのは本当にうれしい事です。

ウチのディナーを食べるために、わざわざ夕食の付かないホテルを探して泊りがけで来て下さる方も多いのだけれど、そこまでして来て下さる事を、本当にありがたく思うし、食べ終わったお客さんから、「本当に幸せ」と言ってもらえた時は、こちらこそ幸せだと思います。

ただ、こんな事を言うのは贅沢なのかもしれないけど、1組あたりの人数が少ない(ほとんどが2人)ため、売り上げが今ひとつ伸びないのが辛いところ・・・・今のところウチでは「最強のソーシャルディスタンス」という事で、ディナーは1日1組限定で予約を受けていますが、12月はコロナ禍拡大の様相を受けて予約のキャンセルがいくつかあるので、これ以上キャンセルが増えないで欲しいものですね。


さて、このコロナ禍の所為で、毎年行われている音楽関係の行事はすべて中止になり、合奏団の練習も3月から中止のままで寂しい思いをしているのだけれど(去年は第九の練習で必死になっていたのが懐かしい)、去年から始めた小さな弦楽アンサンブルが、今年から "Poco a poco" (ポコ ア ポコ 音楽用語で「少しずつ」の意)の名前で活動を始め、毎年恒例の大人のための音楽会 "Viva La Musica" を、弦楽器とピアノだけの出演に限定して例年より小さな規模で開催し、その中で有名曲を弦楽四重奏用に編曲されたものを、チェロを2人に増やした五重奏として4曲演奏しました。 


演奏したのは、次の4曲。
 ヘンデルのサラバンド
 モーツァルトのレクイエムからラクリモーザ
 ブラームスの交響曲第1番のフィナーレから
 ワーグナーのタンホイザー序曲

オレ以外の人達はソロの演奏も披露したのだが、オレはソロの曲の練習を始めるのが遅れたため(練習を始める直前に入院になった)、アンサンブルだけの参加になったけれど、人前で演奏する緊張感はいいものですね。



会場の飛騨市文化交流センターの小ホールには、すぐ隣に手頃な広さのきれいな練習場があるのだが、このコンサートを家族で聴きに来てくれたサクソフォーンをやっておられるウチのお客さんが、それを見て気に入ったようだったので、ホールの人に訊いてみるように勧めたところ、高山市民でも安く借りられるという事で、いい練習場が見つかったとすごく喜んでみえたので、わざわざ来てもらった分のお返しはできたかな、と思っている。


Poco a poco のメンバーの大半は、以前、高山室内合奏団で弾いていた人達なんだけれど、難しい事を言わずに、指揮者なしで、もっと気楽にアンサンブルを楽しみたいという人が集まって来ているので、演奏は結構外しているところもあるけど、みんな本当に楽しんでやっている。
もし、弦楽器(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)をやっている方で、アンサンブルをやりたいという方がみえたら、Poco a poco に参加してください。
お待ちしてます。


いろいろあった今年も、もう1日になりました。

新型コロナウィルスの所為で大変な年になった事は事実で、せっかく盛大にやろうと思っていた15周年とオレの還暦を祝うパーティーもできなくなったけど、オレ自身にとっては決して悪い年ではなかったと思います。

腎臓の嚢胞が巨大化したのが偶然見つかって、すぐに手術で摘出できた事は本当に運が良かったと思うし、それが一番ヒマな時期だった事や、多くの方々に助けて頂いた事、そして県外への移動禁止が解除されてから豪雨で道路の状況が悪くなる前の2週間の中で、10日間の入院をして帰ってこれた事は、何かに守られていたんじゃないかと思うくらいラッキーで、本当に感謝しています。

今年も1年、ありがとうございました。
来年が幸せな1年になりますように、祈りながら今回のブログを終わる事にしましょう。      


では、また。
Ciao. Arrivederci!!   

Posted by spock at 20:23Comments(2)出来事

2020年06月21日

店主が入院するため1週間休業します

Ciao. spock です。

コロナウィルスの所為で世の中がヘンになって、どれだけの日が経ったのだろう。

飲食業界も、もろに影響を受けているわけですが、少しずつお客さんが戻ってきてくれているのは感じられます。

でも、以前のようになるには、まだまだ時間がかかりそう。

早く正常に戻ってほしいものですね。


さて、話は変わって、個人的な話なんですが、この度、生まれて初めて、入院というものを経験する事になりました。

左腎臓内の水の溜まったのう胞の摘出手術を受けるためなのですが、富山大学付属病院に入院するので、22日(月)から28日(日)までの1週間、LA FENICE を休業しますので、よろしくお願いします。



もう10年以上も前から、のう胞がある事は分かっていて、別に害はないと言われていたので、ずーっとそのままにしていたのだけれど、2年前に、久美愛厚生病院で撮ったCTの画像を持って行った時は、問題は無さそうなので様子を見ましょう、と言われたのだが、今回、先日撮ったCT画像を持っていったところ、のう胞が大きくなっているので手術で取りましょう、と言われ、急遽1週間後の23日に手術が決まったわけです。

急に決まった上に、生まれて初めての入院と手術という事で、手術自体には心配はしていないのだけれど、何となく不安感はありますね。


さらには、富山から帰ってくる途中で、クルマの下の方からヘンな音が聞こえ出したので、帰ってすぐに一木自動車へ持っていって見てもらうと、トランスミッションが壊れかけているので直しようがないとの事。

次に富山まで行くのは絶対に無理、と言われたけど、富山まで行く「足」をどうしよう・・・・

と、そんな事を Facebook に書いたところ、名古屋のお客さんから、ちょうど21日に『ガッタンゴー』に乗りに行くので、普段使っていない軽自動車で行って置いて帰りますから使って下さい、という連絡を頂いたので、ありがたく使わせてもらう事になった。

また、入院の日に富山まで送って行く、と2人の方から言って頂いたので、先に言って下さった方にお願いした。

こういう時に助けてもらえるお客さんがいて下さる事を、本当にありがたく、幸せに思います。

それから、足の悪い母や仕事のある妹には、富山まで行っての付き添いを頼むのは無理だと思っていたのだけれど、妹が休みを代わってもらって、手術の立会いに来てくれる事になったので、ありがたい事なんだけれど、迷惑をかけるなぁ、って思いますね。


退院は28日の予定なので、29日(月)から店を再開しようと思っていますが、これだけは状況次第という事もあって、変更になるかもしれません。

でも今回、多くの方から助けて頂いたり、メッセージを頂いたりした事で、いつもヒマな、全然流行らない店だけれど、これからも頑張って店を続けていこうと、改めて思った次第です。

再開後の LA FENICE を、よろしくお願いします。


では、また。

Ciao. Arrivedeci!!  

Posted by spock at 18:46Comments(0)出来事

2020年04月18日

予約は1日1組限定で

Ciao. spock です。

いや~、本当にどうなってしまうんでしょうねぇ。

還暦を迎えた今年は、改めて新しい気持ちで・・・・なんて思っていたけれど、コロナウィルスにすべてやられてしまいましたね。


で、早速「お知らせ」なんですが、岐阜県からの自粛要請を受け、ラ フェニーチェは4月18日から5月6日まで営業時間を短縮します。

ランチは今までどおり、11:30から14:00まで。
ディナーは20:00で終了するため、開始が18:30までの予約のみ受けさせていただきます。(ゆっくりして頂くためには、18:00までにして頂くのがいいと思います)

また、予約の入っていない日は、カウンターで単品メニューをお出ししますが、アルコール類の提供が19:00までとなります。


多くの店ではテイクアウトのメニューをやっておられるようですが、ウチでお出ししている「北イタリア料理」は、バターやチーズ、生クリームを多用するため、冷めると固まってしまって全く美味くないので、テイクアウトは無理と判断しました。

それで、ウチのやり方で安全に食事をして頂くためにできる事はなにか・・・・と考えた結果、予約を1日1組に限定して営業する事だという結論に達したので、1日1組限定で営業しています。

また更なる安全策として、下の画像のように、お客さん同士が直接向かい合わないようにセットすることや、できるだけ空間を空けて並ぶ配置等も可能ですので、ご相談ください。



料理についても安全策として、生ハムやサラミなど、スライサーでスライスしてお出しするものは、しばらくの間は提供を中止しますので、ご了承下さい。

世の中が早く平常に戻ってくれる事を、心の底から願います。




さて、ここからは蛇足なんだけれど、前回の投稿の中で、「還暦を迎えた日にはアクトスのプールで赤いビキニで泳ぐ、と1年以上も前から宣言しているのだけれど・・・・」と書いたのだが、それを実行したので、一応証拠の画像をアップしておきますが、オッサンの裸なんか見たくないと言う人はスルーして下さい。(一応、小さめの画像にしておきますね)































ちなみに、この画像で穿いているのは、MIZUNO の「ウォーターポロ」(水球用パンツ、通称ポロパン)なのだが、赤いビキニのパンツって、他に見つからないんですよね。
もっとも、還暦の日に赤いビキニで泳ごうなんて考えるのは、オレくらいでしょうけどね。


では、また。
Ciao. Arrivederci!!  

Posted by spock at 20:12Comments(0)出来事料理

2020年02月01日

いろいろとお知らせを・・・・

Ciao. spock です。

久しぶりの、そして今年初めての投稿になります。

早いもので、今年ももう2月に突入しましたが、オレもいよいよ還暦まで1週間をきりました。
還暦を迎えた日にはアクトスのプールで赤いビキニで泳ぐ、と1年以上も前から宣言しているのだけれど、まぁ、それを楽しみにしているわけです。

ところで、そのアクトスでは、今年の初めにビンゴカードが配られ、3列揃うと賞品が貰えるとの事だったのですが、見事オレが3列揃えた第1号になりました。
幸先がいいというか、なんか今年はいい事がありそうな気がしますね。
もっとも、期待していた賞品は、いつもの優待券でしたが・・・・



さて、今回はお知らせをいくつか。

『パーティー メニュー』 についてと、いくつかの料理についての紹介、そして『布久庵』への手伝いについて書きます・・・・のついでに、今年も毎年恒例の節分の護摩を焚きに行くため、2月3日は休業させて頂きますので、よろしくおねがいします。



何人ものお客さんと話していて、意外と知られていない事に気がついたので、今回こうして「お知らせ」として書きますが、ウチでは北イタリア料理をきちんとした形で食べてもらうために、「貸切予約制のコース料理」を基本にしているのだけれど、もっと気軽に食べたい、という方のための『パーティー メニュー』もあります。

料理も飲み物もお客さんで取り分けてもらう「着席または立食のビュッフェ形式」なので、コースよりも価格を抑える事ができるため、飲み物込みで、お一人5000円からお受けしています。



ビュッフェといっても、料理はコースでお出しするのと同じものだし、料理が冷たくなったり、ソースが混じったり、というような弊害をできるだけ出さないように、暖めた大きめの取り皿を、取り替えながら使ってもらうようにしています。(皿を取り替えずに使われる方が意外と多いのだけれど・・・・)

同じ予算でも、しっかり食べるのか飲む方に比重をかけるのか、また、質を重視するのか量を求めるのか、というようなご希望によって内容は変わるので、予約の際にはご希望を詳しくお訊きします。

飲み物が足りなくなった場合は「追加」になります。(持ち込みについては、ご相談ください。)
ちなみに「飲み放題」はウチではやりません。

価格を抑えているため、ある程度の人数でないと利益が出ないので、8名様以上でお受けしていますが、そこまで人数が揃わないという場合でも、できる限り融通は利かせますので、ご相談下さい。



生ハムが今、最高に良い状態でお出しできます。
いつもの、24ヶ月熟成のパルマ産生ハムで、イタリア本国でも限られた店でしか味わうことのできない高級品です。


約5kgの塊を、スライサーに載せられる大きさにカットして使うのですが、カットすると少しずつ水分が抜けていくので、時間の経過によって、食感と味が変わっていきます。

カットしてすぐは、水分が多いので、ネットリとした舌触りの食感を味わう事ができますが、水分が抜けていくと、ネットリ感が減って、その分味が濃くなるというトレードオフなんだけれど、オレの好みから言うなら、もともと味の濃い生ハムなので、カットしてしばらく経った位の状態が好きです。
ちょうど今、最高の状態でお出しできるので、ぜひ味わってみてください。

ところで、生ハムにはメロンを合わせるのが普通ですが、オレ自身の好みから言えば、酸味のあるキーウィフルーツの方が良く合うと思っています。


イタリアでも実際のところ、メロンとは言っても、あまり甘くない瓜を使う事が多いわけで、甘すぎるメロンは使うべきではないんですね。
そんな意味からも、ウチではコースの前菜には、生ハムとキーウィを合わせてお出ししています。



ウチの人気メニューのひとつ、『ベルガモ風野菜スープ』を仕込みました。

7種類の野菜をバターでじっくりと炒めて甘味を引き出し、

トマトとジャガイモを加えて特製のブロード(ブイヨン)で煮込み、ジャガイモをつぶして濃度をつけ、バターとパルミジャーノ レッジャーノを加えて仕上げた、濃厚なスープです。


オレ自身、今まで食べた野菜スープの中で一番美味いと思っているのだけれど、ウチのお客さんで、来られると必ずこのスープをオーダーされる方が結構おられるので、間違いなく美味いのだと思います。

基本的に使う野菜は決まっているのだけれど、季節の野菜を加えたりする事もあり、今回は、アスモでカリフラワーを安く売っているのを見つけたので、入れてみました。

少しだけ欲しいという方のために、カップでもお出ししているので、ランチに追加でオーダーしてもらうのもいいと思います。

特に寒い今の時期には最高ですよ。



40年以上もこの仕事をしているわけですから、一応それなりの抽斗は持っているつもりなんだけれど、その中で自分自身が本当に美味いと思っている料理は、それほど多くはないんですよ。

ウチでお出ししている料理の種類があまり多くないのは、本当に自分が美味いと思うものだけを選んで作っているからなのだけれど、自分の好みと、お客さんの好みが必ずしも一致しない事があるのが難しいところで、自分ではそれほどでもないと思っていた料理が意外と人気があったりするんですよね。

そういう料理のひとつが『リングイネのレモンバターソース Linguine al burro e limone. 』で、

毎年のパーティーの時に、少し変わったものを、という感じで出していたら、多くの方から「レモンソースのパスタを食べたい」というリクエストを頂き、このパスタにハマった人が結構おられるのだなぁ、と実感したので、夜のカウンター用のメニューに載せています。

このリングイネは、レモンが練りこまれたパスタで、パスタ自体にレモンの風味がついています。

サッパリとしたパスタが食べたいという方や、ちょっと珍しいパスタを食べてみたいという方にはおすすめですよ。 

ちなみに、オレが習ったオリジナルには、仕上げにパセリのみじん切りを加える事になっていたのだけれど、オレはパセリを加えないシンプルな方が好きなので、パセリを入れていません。 



12月の市民時報や月刊ブレスで読まれた方も多いと思いますが、12月から毎週、水~金曜日はランチを休業して、下一之町の Antica Trattoria 布久庵 を手伝っています。

布久庵のシェフが、台風19号で被災した故郷に帰ったため、毎週水~金曜日と一部の日曜日のランチタイムに、ウチのパスタとランチコース(要予約)をお出ししています。

現在出しているメニューは、
 ジャガイモのニョッキ ピエモンテ風バターソース
 スパゲッティ(またはホウレン草入りタリアテッレ)のボローニャ風ミートソース
 スパゲッティ(またはフェットゥッチーネ)の生ハム入りトマトクリームソース
 手作りマカロニの生ソーセージ入り辛口トマトソース
 ベルガモ風野菜スープ
の5種類ですが、状況を見ながら増やしていこうと思っています。

この前、あるお客さんから、「シェフは人が良すぎるんじゃないですか」って言われたけど、誰かが困っているのを助ければ、自分が困った時に助けてもらえるのではないか、って思うんですよ。
(情けは人のためならず、というやつですね)

そんなわけで、次のシェフが見つかるまで、という事になっているのだけれど、しばらくはこの状態が続くと思うので、よろしくお願いします。



1月は、かつてなかったほど予約が少なく、どうなるのだろうかと思っていたのだけれど、ふらっとカウンターに立ち寄ってくださる方が多く、おかげ様で何とか乗り切ることができました。
2月はどうなるでしょうね。


では、また。
Ciao. Arrivederci!!   

Posted by spock at 19:35Comments(0)出来事料理

2019年08月24日

高山室内合奏団 第16回定期演奏会と、市民盆踊り大会 in 花街

Ciao!! spock です。

夜になると、どこからか虫の声が聞こえてきて、「夏も終わりかぁ」って寂しさを感じますが、結局今年も、夏らしいことを何もしないうちに夏が終わってしまいそうです。

今回は、8月最後の日曜日に関するお知らせを2つします。

〈お知らせ その1〉

24日の中日新聞と市民時報にも掲載されましたが、高山室内合奏団 第16回定期演奏会を、25日の午後2時から世界生活文化センター 飛騨芸術堂で行います。


演奏するのは、次の2曲。
 モーツァルト 交響曲第36番 ハ長調 『リンツ』
 ベートーヴェン 交響曲第7番 イ長調 作品92

今回は、どちらもメインになりえる曲を2曲演奏するという、かつて無かった選曲となったわけですが、特にベートーヴェンの曲は難しく、苦労の連続でした。
ベートーヴェンの交響曲の中でも、オーケストラが鳴りにくい事で知られる第7番を、どこまで鳴らす事ができるか・・・・ぜひお聴き下さい。

14時開演(30分前に開場)で入場無料です。
また、無料シャトルバスが高山駅西口駅前広場南側から13:10に出ます。
ぜひ、お出で下さい。



〈お知らせ その2〉

25日の午後6時から行われる『市民盆踊り大会 in 花町』に出店します。

去年に続き、2回目の出店になりますが、ブラウマイスター〈生〉や、ワイン、スプマンテ、ランブルスコに、イタリアンカクテル、ソフトドリンク等の飲み物の他、ジェラート3種と、24ヶ月熟成の生ハム(グリッシーニ付、数量限定)も販売しますので、ぜひお越し下さい。


会場で、お待ちしております。


では、また。
Ciao. Arrivederci!!  

Posted by spock at 23:01Comments(0)出来事料理

2019年06月07日

いろいろと報告を・・・・

Ciao. spock です。

メチャクチャ暑い日が続くと思ったら、急に涼しくなったり雨が降ったりと、ヘンな気候で身体がおかしくなりそうですね。

久しぶりの投稿になりますが、今回は、いくつかの報告をします。



報告 その1

ラ フェニーチェのウェブサイト http://www.la-fenice.jp/ をリニューアルしました。

基本的な内容は変わっていませんが、細かいところを修正し、スマートフォンにも対応 http://www.la-fenice.jp/sp/ しています。

かなり内容量の多いウェブサイトなので、スマートフォンで見る場合、全部の文章が見えると煩雑になってしまうため、見出しの文章の後にある矢印をタップすると、見出しの続きが読めるような構成になっています。

ウチのパンフレットを基にしてあるので、パンフレットの方が詳しく書かれているのですが、サイト内で使われている画像は、料理の写真を得意とするカメラマンが、時間をかけて撮影してくれたものなので、画像を見てもらうだけでも楽しめると思います。

まだ見た事がない方は、一度見て下さい。



報告 その2 

ここ数年、ひだっちブログに投稿する回数が少なくなっているのですが、以前のようにじっくりと文章を書く時間がなくなった事が主な原因で、そのため、短い文章を Facebook に投稿するのがメインになっていました。

今回リニューアルしたウェブサイトには、ブログ機能がついたため、今後は、ウェブサイトのブログ、ひだっちブログ、Facebook の3つを連動させる事で、その3つのどこからでも、投稿した内容を見てもらえるようにします。

これをきっかけに、また以前のようなマニアックな内容も復活させたいと思っています。

また、「お店からのお知らせ」も連動させるので、営業時間の変更や臨時休業などのお知らせも、どこからでも見てもらえるようになりますよ。



報告 その3

ミシュランガイド愛知・岐阜・三重 2019 特別版に、ラ フェニーチェが掲載されました。


5月14日にセントレアのフライト オブ ドリームズで行われた、ミシュランガイドの出版記念パーティーへの招待状が来たので、行ってきたのですが、



実際に行ってみるまで一番気になっていたのが、他にどこの店の方が行くのだろうという事で、お客さんで来られた洲岬さんとモンテ フェリスの芝君からは聞いていたのだけれど、それ以外には不思議なくらい情報が入ってこなかったんですよね。

で、行ってみると、高山から結構多くの店の方が行っていて、思っていた以上に知った顔があり、同学年の『寿美久』の住君が声をかけてくれたりして、いろいろ話もしたのだけれど、聞いてみると、みんなあまり口外していなかったみたいで、情報が広がらないように、最後まで「掲載決定」の案内を送ってこなかったミシュランの戦略に、上手く乗せられていたみたいですね。




結果から言えば、星はもらえなかったけど、料理もサーヴィスも全部オレひとりでやっているウチのような店が、ミシュランガイドに掲載されただけでも上出来だと思うし、イタリア料理の店では飛騨地区で唯一の掲載となった事を光栄に思います。

もっとも、お調子者でガラスの心臓(後輩が言うには「ちょっと脆い強化ガラス」だそうですが)のオレが星をもらった日には、一気に舞い上がった挙句、プレッシャーに押し潰されかねないので、これくらいでちょうどいいのではないかと・・・・

船坂酒造の有巣君から、今回特別に作られた400個限定のミシュランとのコラボの枡の事を聞いていたので、きっちり手に入れましたが、いい記念品になりました。


TVで実況中継されたこともあって、その日の夜に電話を下さった方や、翌日、早速お祝いを言いに店に来てくださった方々、豪華な花を贈ってくれた同窓生の加藤君、祝電を送って下さった高山市長、Facebook に「いいね」等のリアクションやコメントを下さった多くの方々に、ここで改めて御礼申し上げます。



マニアック過ぎるが故にいつもヒマな店なので、ミシュランガイドがきっかけになって、少しお客さんが増えてくれればいいと思うのですが、今のところ、全くお客さんは増えていないどころか、6月の予約状況は過去最悪かも。(笑)

ミシュランから、ミシュランガイド『掲載店』のステッカーが送られて来たので、これを拡大コピーして、あちこちに貼ってみようかと思っているのだけれど、どうなるやら・・・・


今後お客さんが増える事があったとしても、今までとやり方を変える事なく、尖がった店であり続けようと思っていますので、これからもよろしくお願いします。



報告 その4

新しい生ハムが入荷しました。

いつもと同じ、イタリア本国でも限られた店でしか食べる事のできない、24ヶ月熟成の生ハムです。

塊をカットして、できるだけ変質しないように冷凍保存し、お出しする直前にスライスするわけですが、時間が経つにつれ水分が少なくなっていくので、舌触りや味は、少しずつ変わっていきます。

水分が少なくなっていくと、その分、味が濃くなっていくわけですが、舌触りは、少しずつざらっぽくなっていきます。

そういう意味で、新しく塊をカットしたばかりの生ハムは、その舌触りがすべて、と言っていいと思いますが、それを味わえるのは、ここ1週間くらいだと思います。


ねっとりとした舌触りの新しい生ハム・・・・今だけですよ。



報告 その5

『アマローネ』が入荷しました。

イタリアワインの最高峰であるD.O.C.G.(保証付原産地統制名称)に分類される『アマローネ』Amarone は、かつては王侯貴族しか味わうことができなかったといわれるほど贅沢に造られた、稀少な高級ワイン。

『ロミオとジュリエット』の舞台となったヴェローナの近郊の、ヴァルポリチェッラ地区で、陰干ししたブドウを使って作られる伝統的なワインで、『アマローネ』を名乗るためには、多くの規定をクリアしなければならないわけです。

陰干しする事で水分の少なくなったブドウから作られるため、味、香り、色の全てにおいて濃厚で、独特のほろ苦い甘味と果実味を感じさせ、料理に合わせるよりも、ワインその物を味わうためのワインと考える方がいいかもしれませんね。

当然、値段は高く、一般的な小売価格が1万円を超えるものも多いのだけれど、流石にそれでは店で出すには高すぎるという事で、安くて美味いアマローネをいろいろ探しているうちに見つかったのがコレで、年に1回、1ケースだけ仕入れるのだけれど、今回が3回目の入荷です。


1本10000円でお出ししていますが、特別な日に開けるワインとして如何でしょう。


さすがにそれでは高すぎる、という方には、こちらをお勧めしておきましょう。


遅摘みの完熟ブドウに、一部陰干しブドウを使って造られた、シチーリア産のワイン『グース バンプ』Goose Bump

アマローネほど濃厚ではありませんが、陰干しブドウの微かな甘味を感じさせる芳醇な果実味を持つミディアムボディーのワインで、料理に合わせるなら、アマローネよりもこちらがいいでしょうね。

1本4000円でお出ししていますが、値段を考えたら、文字どおり「鳥肌」もののワインだと思います。



報告 その6

毎年恒例のパーティーは、今年は6月29日(土)の19:00から行います。

今年は『14周年とミシュランガイド掲載の感謝パーティー』になりますが、お世話になった方と常連のお客さんを中心に声をかけさせてもらいますので、ぜひ参加して下さい。


では、また。
Ciao. Arivederci!!  

Posted by spock at 18:45Comments(0)出来事

2018年08月17日

市民盆踊り大会 in 花街 に出店します

Ciao. spockです。

急に涼しくなってきましたが、秋が近づいていることを実感しますねぇ。
今年は去年とは逆に、暑すぎて夏らしい事を何もしないうちに夏が終わりそう。
市民プールへも、1回くらいは行って来たいと思うのだけれど・・・・


さて今年は、8月19日(日)の夜6時から9時まで花岡町1丁目で開催される『市民盆踊り大会 in 花街』に出店する事になりました。



以前から何回も声をかけて貰っていたのだけれど、毎年、その次の週が合奏団の定期演奏会ということもあり、練習があるのでお断りしていたのだけれど、今年は練習を1回休んで、出店する事に決めました。

飲み物だけではなく、ジェラートや生ハム、チーズなども出して欲しいとの事だったので、すべて用意する事にしました。

「他所にはないものを出す」というコンセプトのもと、ブラウマイスター生、ワイン、スプマンテ、ランブルスコ、イタリアンカクテル各種など、ウチの店と同様にマニアック路線でいきます。

もちろん、カクテルは出来合いのものではなく、目の前で実際に作ります。
また、要望があれば、シェイカーだって振りますよ。

飲み物のメニューはこんな感じです。(一部、変更になるところもあります)



ブラウマイスターの生は、他の生ビールとの兼合いで700円で販売しますが、その分多めに注ぎますのでご了承下さい。
 
他に、つまみとして、生ハムとサラミの盛り合わせ(グリッシーニ付き)や、チーズ4種の盛り合わせ、それに、ジェラートを3種類と、超濃厚パンナコッタを用意します。
生ハムやチーズ、パンナコッタは、数量が限られるので、お早めに・・・・どうしても欲しいという方は、前日のうちに電話で予約しておいてください。

『市民盆踊り大会 in 花街』の会場でお待ちしております。


それから、盆踊り大会の翌週、26日(日)には、午後2時から、飛騨世界生活文化センター 飛騨芸術堂で、高山室内合奏団の第15回定期演奏会があります。

今回は、記念すべき第15回という事で、ベートーヴェンの交響曲第6番『田園』をメインに、前半は、メンデルスゾーンの若書きの珠玉の名作、『弦楽のためのシンフォニア 第7番 ニ短調』を演奏します。



例によって入場は無料で、無料の往復シャトルバスが運行されます。
   ワシントンホテルプラザ前 13:10発      飛騨センター 15:30発

ぜひ、聴きに来て下さいね。


では、また。
Ciao. Arrivederci!!  

Posted by spock at 18:32Comments(2)出来事料理

2018年07月13日

13周年感謝パーティー

Ciao. spockです。

前回の投稿から、かなり時間が経ってしまいましたが、なんとか元気にやっています。

オレはありがたい事に、病院には全く縁のない人間なのだけれど、還暦が近づいてきたら、身体のあちこちに問題が出てくるようになった。

5月に病院に行った時、先生から大学病院で診てもらうように言われ、富山大学附属病院を紹介されて、片道2時間かけて行ったところ、担当の先生から、持って行ったCTのデータを詳しく説明してもらった上で、「他の先生の意見も訊いてから今後の治療方針を決めましょう」と言われ、4週間後にもう1度行くことになった。

4週間も間が空くという事は、急を要する事ではないのだと理解はしたけれど、やはり気になる。
で、4週間後に行ったところ、「今のところ問題はないでしょう」と言われ、先生の話を5分ほど聞いて、220円支払って帰ってきた。

自分ではまだ若いつもりでいても、確実に歳は取っているわけで、その分身体を労わってやらなければいけないのだけれど、なんか、歳を取ったという実感がないんだよなぁ。

まぁ、人生の終わりまで、若い気持ちで生きる事ができたらいいな、と思うのだけれど・・・・



さて、LA FENICE がオープンしたのが、2005年の7月1日でしたから、もう13年も経ったわけです。
まぁ、これだけ儲けの出ない店がよく続いたものだと、自分でも感心しているのですが、これもウチを贔屓にして下さるお客さんのお陰ですから、今年も6月の30日(土)の7時から、恒例の感謝パーティーをやりました。



この日は他にいろいろな行事があったため、例年に比べ、参加できる方が少なかったのですが、ここ3年ほど、30人ほどの方に来て頂いていて、立ったまま食べておられる方もみえたので、今年は逆に少な目の人数で、ゆっくりと食べてもらう事にしました。

まぁ、オレ自身、30人を相手にするのには結構キツイものがあったので、無理をせずにやろうかと・・・・結局、芝居が終わってから駆けつけてくれた劇団関係者も含めて、20人の方に来て頂きましたが、これくらいが丁度いいのだと思います。

また、参加できない方が、わざわざ花を贈って下さったり、


持ってきて下さったり、


参加するのに贈ってくださった方も・・・・




今回は、『ラ フェニーチェ 広報担当』を自称するノア ド ココさんが、写真や動画を撮りまくってくれたので、そちらは全てお任せして、ひたすら料理に専念していましたが、ギリギリでやっていた去年に比べ、カウンターのお客さん相手にダジャレを連発する余裕があったくらいなので、来年もこのパーティーができるのであれば、これくらいの人数に絞ってやりたいと思っています。

今回のパーティーでお出しした料理のメニューは、次のとおりです。

生ハム、コッパ、サラミ
魚介類のサラダ ニース風
グリーンアスパラのミラノ風
カポナータ
ゆで鶏のバジリコソース
ボイル野菜のバターソース

ジャガイモのニョッキ ピエモンテ風バターソース
ポルチーニ入り パルマ風リゾット
スパゲッティ トマト入りカルボナーラ
手作りマカロニ ソーセージ入りトマトソース
ペンネリガーテの4種チーズソース

鯛の岩塩包み焼き
鯛のモンテカルロ風バターソース
オマールと魚介類のワイン蒸し

鶏の魔女風鉄板焼き

子牛骨付きロースのミラノ風カツレツ
  
ここまでお出ししたところで、もう食べられないという事で、料理は終了。
料理の写真は、ココさんがFacebook に投稿してくれたものを、こちらに転載します。
(右上のFacebook マークをクリックすると、オリジナルの投稿に飛びます)



この他にも、写真から動画まで、「よくここまでやってくれたよなぁ」って思うくらいたくさんあり、それらを編集した『総集編』がコレ!!(右下のFacebook マークをクリックすると、オリジナルの投稿に飛びます)



その他の動画や写真。

グリーンアスパラのミラノ風


ジャガイモのニョッキ ピエモンテ風バターソース


ポルチーニ入りパルマ風リゾット  ペンネリガーテの4種チーズソース


手作りマカロニのソーセージ入りトマトソース


鯛の岩塩包み焼き


鯛のモンテカルロ風バターソース


オマールと魚介類のワイン蒸し


鶏の魔女風鉄板焼き



毎年、妹と姪が手伝いに来てくれるのだが、今年は姪が体調不良のため、妹だけが手伝ってくれたのだけれど、毎年の事なので、もう慣れたもので、余裕を持ってやってくれていたので、こちらもラクでした。

ある程度落ち着いてからは、カウンターのお客さんと料理を作りながら話をしたり、ダジャレを連発する余裕も出てきた。
毎年来てくれる、パーティーの常連のお客さんは、だいたいカウンター席を選ぶのだけれど、まぁ、そういう「勝手知ったる」お客さんを相手に話すのは楽しいもの。

ここでひとつ言わせてもらいたいのだが、ダジャレを言うと、なぜか「オヤジギャグ」って言われるのが、オレはすごく心外なんだよなぁ。
オレは子供の頃からダジャレばかり言っていたし、そんな子供だったから落語家になりたいと思っていた時期もあったのだけれど、子供の頃から言っていたダジャレを「オヤジギャグ」って言われるのは、どうにも納得できない・・・・だから、ダジャレを一纏めに「オヤジギャグ」と言うのは止めて頂きたい。

さて、本題に戻って・・・・まぁ、そんな砕けた話をしているうちに、そこでネタにされたのが、この前Facebook に投稿した記事と、その写真。

その内容を要約すると、
以前から「還暦を過ぎてもビキニの似合う身体を維持する」と公言していたオレは、アクトス高山のプールに通っているが、オレ以外にビキニタイプの所謂ブーメランパンツで泳いでいる人を見た事がなく、ブーメランの方が動きやすくて足が長く見えるのに、みんな申し合わせたように黒いスパッツで泳いでいるのが不思議だ。
だからオレは、どうせ目立つならと思って、持っている中で一番派手な、赤と白のRQ-632のウォーターポロ(MIZUNO の光沢のある素材の水球用パンツ、通称ポロパン)を穿いて泳いでいるが、そういう緊張感も、身体を引き締めるのにはいいのかも。




オリジナルの記事はコレ。
https://www.facebook.com/katsuya.nishino.18/posts/1648551018595033

その後、プールでビキニを穿くのはアリか、という話になり、「もうビキニの時代ではない」という非ビキニ派の意見に対し、オレともう一人のビキニ派は「動きやすくてスタイルもよく見えるから、水球、飛び込み、シンクロでは現在もビキニが使われているわけだし、持ち運びも着脱も簡単だ」という意見で反論・・・・結局は「何を穿こうが他人は見てないから、好きなものを穿けばいい」という当たり前の結論に達したわけだが、他人にどう言われようと、オレはビキニしか穿くつもりはないから、別にいいんだけれど・・・・


例年に比べ人数が少なかったこともあって、10時半を過ぎると帰られる方が多くなり、思っていたより早めのお開きになったのだが、最後のお客さんが帰られる時に、参加費として、折り畳んだお札を渡された。


1億円札・・・・?
財布に入れておくと、お金を呼び込むそうなので、早速自分の財布に入れた。


さて、この店も13年続けて来たわけだけれど、今、これからをどうするか考えているところ。
こんな小さな地方都市の高山には、料亭が3軒もあって、それぞれが特徴を持って成り立っている。
そういう高山だからこそ、イタリアの『料亭』にあたる Ristorante リストランテを根付かせたいと思ってこの店を始めたのだが、それが成功したとは思えない。

ここ2~3年というもの、ディナーの予約をして下さるお客さんの8割以上が飛騨地区以外の人だという事実・・・・これじゃ、高山でやる意味が無いんじゃないかと思うわけ。

基本的に『専門店』というものは、誰もが行くところではないので儲からない・・・・これは世界共通の事実で、イタリアで最高の格式を持つ、ミラノのサヴィーニ Ristorante Savini だって、経営不振のため、過去に何人も経営者が変わったし、オレの料理の原点である、ベルガモのタヴェルナ デル コッレオーニ Taverna del Colleoni も、企業の資本が入って、Taverna Colleoni del' Angelo と名前が変わってしまったが、長い歴史と格式を誇る店であっても、維持していく事は難しいのである。

でもオレは、敢えて高山で専門店をやってみたかったわけ。
予約制でコースのみというやり方は、料亭では当たり前の事であって、それ故、自分の食べたいものを、自分だけの時間の中で楽しめるわけなのだが、その事がなかなか理解してもらえない・・・・イタリア料理としては、「高山でやるには30年早かったな」って、始めて数年で実感した。

27年前、オレがダイエーの中内 功氏に呼ばれて赤坂へ行った、ちょうどその頃、ダイエーは新しい形態の会員制ストアー "Kou" を神戸にオープンさせていたのだが、業績はサッパリで、ダイエーの内部でも「あれは失敗だ」という声が多く、幹部の人たちの間では、「日本でやるには20年早すぎた」と言われていて、結局、数年で閉店してしまったけれど、あれから30年近く経った今、同じ形態のCostco が人気を集め、日本各地に店舗を増やしているところを見ると、あの頃ダイエーの人たちが言っていた、「日本でやるには早すぎた」というのは正しかったのだと思う。

それと同様に、「高山でやるには30年早すぎた」と思っているウチも、あと15年位続ければ上手く行くんじゃないかと思っているのだが、出来るだけ多くの人に、イタリア料理を本来の形で食べてほしいという思いから、料理の値段だって、東京の相場のほぼ半分でやっているから、今までまともな儲けが出た事がない。

オレ自身、かなり楽天的な人間なので、借金しながらでも続けていけば、必ず認められる時が来ると思ってやっているのだが、オレとは違って心配性の母は、この先どうやって生きていくのかを気にするあまり、不眠症と胃潰瘍になってしまい、もういい加減止めてくれ、って言われていて、最大の協力者であり、出資者でもあり、大家でもある母を苦しめ続けるわけにはいかないので、どこかで区切りをつける必要はあると思っている。

まぁ、そういう意味で、石川啄木じゃないけど「わが生活楽にならざり ぢっと手を見る」という心境なのだが、この前、手を見ていて、ある事に気がついた。


オレは今から11年前、このブログにも書いたのだけれど、スピリチュアル カウンセリングの第一人者であるM先生について、スピリチュアル カウンセリングを習ったのだが、その翌年、新しい技術を習うために先生ところに行った時、カウンセリングは多くの視点から見た方がいいという先生の方針で、手相鑑定の第一人者であるS先生を招いて、プロとして手相を見る方法を習った。

スピリチュアル カウンセリングも、手相鑑定も、プロとしてやれる事はすべて習ったという終了証をもらったものの、副業で他人の運命を見るのはどうかと思うので、職業としてはやらなかったけれど、今も時々、当時の資料やノートを取り出して勉強はしているので、自分の手相も時々見るのだが、今年になって、今まで気がつかなかった線を見つけた。



この線に気がつかないという事はなさそうなので、おそらくは新しく出てきた線だと思うのだが、生命線を起点に中指の下の土星丘に向かって伸びる線・・・・調べてみると、運命線の一種の『千金紋』という線で、別名を『成り上がり線』という、文字通り、どん底から頂点に向かって駆け上がる相との事。
ちなみに、ウェブ上で見つけた解説がコレ。



ただ、この線があれば成り上がれるのではなく、努力を続ける事が重要なのだそうだが、左手だけでなく、右手にもこの千金紋が出来つつある(うっすらと出来ている)ので、成り上がれる時期に来ているんじゃないかなぁ、と思っている。

まぁ、これだけはなってみないと分からないし、一緒に受講した仲間から「すぐにプロでやれる」と言われたくらい、すんなりとできたスピリチュアル カウンセリングとは違って、手相の方は、あまりしっくりと行かなかったので、どこまで正しく見れているのか分からないのだが、ポジティヴな気持ちを持ち続けることは必要だと思うので、成り上がる事を信じてやるしかないんだろうな。

来年もまた開店14周年感謝パーティーができると信じて、やっていこうと思います。


最後に、ひとつ宣伝しておきます。

高山室内合奏団の第15回定期演奏会が、8月26日(日) 午後2時から、飛騨世界生活文化センター 飛騨芸術堂で行われます。



演奏する曲は、メンデルスゾーンの弦楽のためのシンフォニア 第7番 ニ短調と、ベートーヴェンの交響曲第6番『田園』の2曲です。

例によって入場は無料で、無料の往復シャトルバスが運行されます。
   ワシントンホテルプラザ前 13:10発      飛騨センター 15:30発

田園はオレの最愛の曲なので、超難しい曲だけれど、何とか弾けるようにと頑張っています。
ぜひ、聴きに来て下さいね。


では、また。
Ciao. Arrivederci!!  

Posted by spock at 18:32Comments(0)出来事料理

2017年12月09日

いろいろあって  2017年初夏~秋 後編

Ciao. spockです。

天気の週間予報に、雪のマークが並んでいますが、いよいよ冬らしくなってきましたねぇ。
今年は夏が短かった分、冬が長くなるんじゃないかと心配している今日この頃ですが、相手が自然ですから、どう足掻いたところで仕方がないんですけどね。
でもまぁ、雪があんまり降らなければいいなぁ、と思っているのは、オレだけではないんでしょうけど。


この前、東京の某ホテルのコンシェルジュから、団体のお客さんのランチコースの問合せがあって、20名でと言われたのだけれど、ウチでは16名までしか無理なのでお断りしたのだが、翌日、どうしてもそちらでとお客さんが言われるので16名での予約をお願いします、という電話が改めて入ったので、お受けすることになった。

その日は同業者である妹に手伝ってもらう事にして準備を進めていたのだが、前日の電話で、そのお客さんが海外からの方だと分かり、不思議に思って訊いてみた・・・・「ウチの事を、どうやって見つけられたのですか?」
すると、その答えが、「お客様の方から指定がありました。」

ウチのウェブサイトは日本語にしか対応していないのに、外国の人がどうやって調べたのだろうと不思議に思ったのだが、香港から来られたそのお客さんに訊いてみたところ、少し日本語のできる人がインターネットで調べてウチを見つけたとの事。
ウチに予約を入れて下さる方の中で、高山(及び飛騨地区)以外の方の比率は、ここ数年上がり続けて、今では8割を超えているんだけれど、その中に海外の方も入ってくるようになったとはねぇ。

いつも名古屋から来て下さるお客さん達から、「この店の真価は高山では理解されないんだから、早く名古屋へ出て来いよ。」って、以前から結構真剣に言われているんだけれど、これ以上高山の人の比率が下がるようであれば、考えなければならないのかもしれないなぁ。


ここでひとつお知らせです。
この夏にも行われた『TAKAYAMA DE KANPAI』の第2回が、現在行われています。
ウチは、参加店の中でも一番毛色が変わった店であるという自覚があったので、誰も投稿してくれないんじゃないかと心配していたのだけれど、投稿して下さった方がおられたので、今回も参加する事にしました。
今回は、さらに特典が増えているので、ぜひ写真を撮って投稿してみて下さい。
詳しい事は、こちらで。




さて、だいぶ間が空きましたが「いろいろあって 2017年初夏~秋 前編」に続く、後編です。
前編と同様に、Facebook にアップしたものを元に書いていますが、初出の文もあるので、Facebook で既読の方も読んでみて下さい。



おかげ様で、高山室内合奏団 第14回定期演奏会は、無事終了する事ができました。
ありがとうございました。






予想していたより来場者数が伸びなかったのですが、アンケート用紙の回収率がかつてないほど高く、また、その多くがかなり踏み込んだ内容まで書かれていて、読んだ団員一同、本当にありがたく思いました。

今年は、演奏会に参加する団員の数が少なく、演奏面でも、運営面でも、財政面でも、かなり苦しい演奏会になり、また去年と同様に、指揮者が演奏会間近に入院するという、かなり綱渡り的な状況でしたが、多くの方々から協力を頂いた事で、なんとか乗り切る事ができました。
協力頂いた方々には、本当に感謝しております。

個人的にも、仕事が忙しくて練習に行けない事が多かったし、実行委員の仕事も遅れがちで、プログラムの挨拶文を書いて印刷所に送ったのが、本番の5日前という慌しさでした。

今回は、その練習中に、「選曲をミスったのではないか」という意見が出るほど難しい曲を選んだため、団員それぞれに、かなり苦労したと思いますが、その分、演奏会が終わった今、よくやったよなぁ、という充実感は、例年より強く感じますね。

指揮者に質問中

団員間での打ち合わせ

毎年参加してくれるエキストラの人達



指揮者、ステージマネージャー、コンサートマスター

リハーサル中



楽譜への書き込み


アンコール曲を練習する余裕がなかったため、今回は、アンコール無しになりましたが、その事は、お客さんにも解ってもらえたのではないかと思います。

3ヵ月後には、クリスマス ファミリーコンサートが控えているので、近々、その練習が始まります。
来年は、第15回という事で、特別な演奏会にしたいという気持ちはありますが、合奏団の転換期に来ている事も確かで、みんなで話し合って最良の道を探しながら、次のステップへ進んで行きたいと思っています。




今年は、夏らしい気候になりきらないうちに、秋になってしまいましたねぇ。
夏らしい事を何もしないうちに夏が終わってしまって、なんか悔しい!!

以前ここに、「夏のプールシーズンまでに身体を引き締め直そうって思っている」って書いたのだけれど、身体の方はそれなりに締まったものの、ヘンな天気のうえに、仕事や演奏会の練習で忙しくて、結局、プールには1回しか行けなかった。

1年ぶりの市民プールで泳いでみたら、全然思うように泳げない・・・・やっぱり、1年も間が空くとだめですねぇ。

で、その1回だけのプールでも身体は焼けたわけだけれど、前と後ろの焼け方が違っていて変・・・・もう1度プールへ焼きに行きたかったけど、行けそうになかったので、天気が良い日に、ウチの3階のバルコニーに寝っ転がって焼いてみたら、結構きれいに焼けたみたい。

その時に撮った画像を、以前書いた事に対する「まだ十分ではないけど一応ここまでは身体を引き締めたよ」、という結果報告としてアップするので、「そんなもの見たくないわ」という人はスルーしてね。



実のところ、この画像を Facebook にアップするのには、躊躇がなくもなかったのだけれど、普通じゃない事をやるのが身上のオレが躊躇しちゃダメだな、という気持ちと、iPad に入れていたこの画像を見た女性のお客さんが、「うわー、きれい」って言ってくれた事で、アップに踏み切ったわけ。

まぁ、無視されるか非難されるかだろうな、と思っていたのに、結果として、個人と店の両方で30人から「いいね」をもらえたのは意外だったのだが、こうして晒してしまった以上、これより体形を崩すことはできないし、来年はさらに身体を引き締めようと思っている。

さて、この画像で穿いているのは、以前にも書いた MIZUNO の RQ-632 のウォーターポロ(通称ポロパン)で、赤と白の地に黄色のステッチが入っている。
実のところ、オレは若い頃から、赤と紫のものを身に着けた事が殆ど無かった。
何となく好みに合わなかったし、以前、自分に合う波長の色を調べた時も、赤と紫は全然合わなかった事もあって避けていたのだけれど、ここ2年ほどで「赤もいいよなぁ」って思うようになった。
これって、還暦を意識する歳になったからなのかなぁ。




打ち上げ後、7年という長い時間をかけて土星に到達し、その後、当初の計画より9年も長い13年間続けられた周回探査では、50万枚近い画像と、635GBにおよぶ貴重なデータを送り続け、最後は土星に突入して燃え尽きた、土星探査機『カッシーニ』



最後に送られてきた画像を見ながら、その健気さに、目がうるうるしてしまった。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/092000358/

20年前といえば、Power Macintosh がG3になる前であり、Windows95 の時代だったわけだけれど、そんな時代の、今と比べれば遥かに遅く、容量も小さい機械を使って、必死にデータを送り続けた カッシーニ。
カッシーニから切り離されてタイタンに着陸した、惑星探査機『ホイヘンス プローブ』と共に「健気」という言葉しか思いつかない。

そういえば7年前、3年間も行方不明になりながら、補助エンジンを使って地球に帰って来た『はやぶさ』の時も、最後は燃え尽きてしまって、その映像を見ながら、目がうるうるしたものだが、(その時に書いたブログ http://lafenice.hida-ch.com/e209922.html を読み返すと、些か気恥ずかしく思うほど感動していたみたい)、今回のカッシーニは、全く見えないところで、大気の組成データを予定より30秒も長く送信しながら消滅していった事を思うと、はやぶさの時以上にうるうるしてしまう。(子供の頃から感傷的だったのでね)

34億ドルと、20年の歳月を費やしたカッシーニのミッションも終わり、現在、木星を探査している『ジュノー』も、来年には木星に突入して消滅してしまう。
寂しくなるなぁ・・・・




9月25日って、オレにとっては、ある意味、記念日みたいな日。
17年前のこの日に、母方の祖母が100歳を目前に亡くなった事もあって、余計に忘れられない日になったのだが、1979年のこの日が、生まれて初めてオペラを観に行った日だった。

コヴェントガーデン 王立歌劇場の引越し公演で、演目はモーツァルトの『魔笛』、会場は大阪中之島のフェスティバルホール。



この時、隣の席に座っていたのは、当時付き合っていた1歳年下のえっちゃん・・・・音大の声楽科に通いながら店のレジのアルバイトに来ていた、すごくきれいな子で、狙っていた先輩も多かったのだけれど、音楽の、それもオペラの話ができるのはオレだけだったから、それをきっかけに付き合い始めたわけ。

魔笛を観に行こう、って誘ってパンフレットを見せた時、一番安い席なら行ける、って言われたのだけれど、当然安い席は売り切れているはずなので、「オレがひとりで高い席で観るより2人で一緒に観るほうが絶対に楽しいから、差額はオレが出す」と言って、OKをもらった。
まぁ、19歳のオレにしてみれば、精一杯の背伸びだったのかも。

で、ティケットを買いにいったら、当然、高い席しか残っていなくて、あちこち探してみたけど買える値段の席はなく、ふと思いついて、予約を受け付けていた事務所に電話してみたら、なんとか買えるB席が2枚だけ残っているというので、昼の休憩時間に大阪まで買いに行ってきた。(昼メシも食べずに飛び出していって、帰ってきてからティケットを買ってきたと言ったら、みんな呆れていたけど)



今でこそ『魔笛』は、『バラの騎士』『ラ ボエーム』『イル トロヴァトーレ』と並んで最も好きなオペラのひとつなんだけれど、当時は大雑把なあらすじくらいしか知らなかったので、対訳書を買ってきて大体のやりとりを頭に叩き込み、当日に備えた。

調理師学校の入学式と卒業式がフェスティバルホールで行われたので、ホールの事や行き方は分かっていたけれど、オペラを観に行くなんてのは初めての事なので、どんな格好で行ったらいいのかも分からなかったのだけれど、結局は卒業式の時に着たスーツで行った・・・・と思う。
自分の事はあまり憶えていないのだが、えっちゃんが白い小さな模様の入った紺のワンピースを着ていた事や、ロングヘヤーを編みこんでいて、メガネがかけれないって言っていた事をハッキリと憶えている。 

で、肝心の演奏については、初めてのオペラだった事もあって、ハッキリとは憶えていない。
ただ、パパゲーノを歌ったトーマス アレンが芸達者で、随所で笑わせてくれた。
特に憶えているのは、3人の侍女が殺した大蛇に気がついた時の驚き方・・・・あんな自然な驚き方は、実演、VTR共に、その後に観たどの上演でも、お目にかかった事がない。

後に手に入れた、バイエルン国立歌劇場での公演のレーザーディスクで、この時と全く同じエファーディング演出の舞台を観る事ができて、あの時の感動を思い出すことができるのだが、ただ、誰もが『魔笛』の中で一番楽しみにしているであろう『パパパの2重唱』を、タミーノとパミーナの試練の場の前に移動させた事だけは、許し難い暴挙だと思う。

で、この日の公演の最後、カーテンコールが終わったところで、オーケストラが Happy birthday to you. を演奏し始めた。
この日は、指揮者のコーリン デイヴィスの誕生日だったのだが、そんな事も、この日を忘れ難いものにしているのだろうな。

公演が終わった後、北新地まで歩いて、当時、イタリア料理の人気店だった『ジジ』で食事をして、神戸に帰ってきたのだけれど、まぁ、これがオレの10代最後の大イヴェントだった事は間違いない。

その後もいろいろあったけど、付き合いは続き、オレが東京へ移ってからは、えっちゃんが仕事で東京へ来た時に、朝、仕事の前に彼女の泊まっているホテルに行って、一緒に朝食を食べたりもしていたけれど、神戸の地震の後に電話で話したのを最後に、音信不通。

おそらく彼女も、オレと同様に結婚はしていないと思う。
まぁ、お互い、そういう生き方の人間なんだろうな。
いつか会う事があるなら、お互いにいい歳の取り方ができたな、って言えるようになっていたい。




10月10日の昼、ランチコースを予約して来られた方と食後に話をした時に、「祭だという事を知らずに来たのだけれど、今から見に行くのならどこがいいですか?」と訊かれた。
2時近くになっていたので、八幡神社へ行っても見るものはないだろうと判断し、「3時から下一通りで布袋台がからくりをやるので、今から行けばいい場所で見る事ができると思いますよ」と答えると、そういうのに興味があるので行くとの事。

下一之町への行き方を説明したところで、そのお客さんから名刺を渡され、挨拶された。
郡上で店をやっておられる同業者の方で、お客さんから「高山のラ フェニーチェ」という名前をよく聞くので、以前からすごく気になっていたんです、と言われた。
まぁ、同業者にそう言われるのは、うれしいものですね。

で、そのお客さんをお見送りした後、オレも下一之町へ布袋台のからくりを見に行った。
毎年、布袋台を屋台蔵に入れる前に、下一通りでからくりを披露するのだが、人でごった返す八幡神社の境内よりも、ずっと落ち着いて観る事ができるので、毎年観に行く事にしているわけです。

ランチの営業を終えて、昼メシをかっ込んで、下一通りまで走って行ったら、2時50分・・・・開演まで10分。
もう、布袋台の前には、びっしりと人だかりができている。
屋台の横、からくりがぎりぎり見えるところに陣取って、反対側を見ると、三味線や太鼓を構えた人達が並んで座っている・・・・今年の伴奏は生演奏だったのだと気がついた。
伴奏を生でやるのは何年ぶりかな。

小さい子供が屋台の上段に立ち、開演を告げると、からくりが始まった。
生伴奏の影響もあったのか、実にスムースに進んでいく・・・・今までに見た中でも、ベスト3に入るくらいの出来だったのではないかな。
唐子が布袋さんの肩と手に乗る時、唐子の首を動かすための「噛み合わせ」が、ほぼ一発でピッタリ嵌ったのが見ていて分かったくらいだから。

数年前にからくりの練習を見せてもらった時
、当時の『綾元』(リーダー)の鍋島勝雄さんに話を聞かせてもらったのだが、その時に、「からくりを見に来る人の中には、失敗する事を期待している人もいる筈だから、上手くいっている時でも、わざと動かなくなったように見せる事もある。」って言われた事をハッキリと憶えている。
でも、今回のからくりは、そんな事を気にするまでもないほどに上手く行ったんじゃないかと思う。

そんなすごいからくりを見て、終演後に気持ちよく下一通りを歩いていたのだが、鍋島さんの前で奥さんと目があったので挨拶したら、「お茶を飲んでいって」と言われた。
ありがたく頂く事にして、店内の椅子に座ろうとしたら、「あなたにはお抹茶を出してあげるから座敷へ上がって」と言われ、準備を始められたので、恐縮しつつ座敷に上がらせてもらった。
初めに『栗よせ』が、続いて、きれいに泡のたった抹茶が出てきたが、どちらも本当に美味かった。

向かいに奥さんが座って、例によって音楽の話が始まったのだが、その後、話が八幡祭の起源の事になり、そういう分野は得意なので、いろいろと話していたわけです。
で、八幡祭が10月の9日と10日になったのはオレが小学校の3年の時だったから、来年でちょうど50年になるなぁ・・・・という事は、初めて祭に屋台が登場した事が文献に書かれた享保3年から、来年でちょうど300年になるんだな、なんて話をしていたら、布袋台のからくり人形が運び込まれてきた。


ここで、それぞれの人形や器財が箱に入れられて、その後、屋台蔵に仕舞われ、来年の祭りまで眠りにつく。
今年は4月にもからくりの上演があったので、その分ゆっくりと休んでね、って思いながらお暇してきた。

で、その後、市役所の人と話をした時に、屋台の登場から300年の事を訊いてみたら、今年の春に大々的な行事をやったのでお金も残ってないし、特に何かをやる予定はない、という答えだったが、それだったら、創建300年を迎える神馬台や仙人台などの屋台だけでも、なにか記念行事をするべきなんじゃないかと思うのだが・・・・


 

高山市文化協会 ワンコインシアターの『オケ老人』を観てきた。



開演時間に間に合わなければ諦めるつもりでいたのだが、ランチの予約が早く終わったので、文化会館まで、半分走り、半分歩いて行ったら、着いたのが開演1分前。
顔見知りの職員の人に「ギリギリでしたね」って言われた。

思っていた以上に来場者は多く、空いた席を探して座ると、すぐに上映開始。
コメディー映画という事もあって、随所で笑い声があがる・・・・こういう雰囲気もいいもんだねぇ。

映画の内容を一言で言えば、『ウォーターボーイズ』や『スウィングガールズ』の老人版と言ったところだが、一番の違いは、最後のパフォーマンスが「吹き替え」という事で、『ウォーターボーイズ』や『スウィングガールズ』では、出演者本人たちによるパフォーマンスが見せ場だったわけだが、流石にオーケストラは無理だという事だろう。

オレ自身が合奏団で演奏していて、そんな事ができるわけがないのはよく分かっているので、逆に割り切って観る事ができたんじゃないかと思うし、ストーリーも十分楽しめた。
日本人にとって、「みんなで何かを作り上げる事」って、一番感動できる事だと思うのだけれど、この映画は、そのツボにピッタリはまっているんじゃないかな。

『スウィングガールズ』を観て、自分も演奏したくなって楽器を買った人が結構多くいたそうだが(その後続ける事ができたかどうかは別だが)、この『オケ老人』を観て、同じように思った人もいるんじゃないかな。
出口の前に、「高山室内合奏団 団員募集中」というポスターを貼っておけばよかったなって、映画を観ながら思う事しきり・・・・

でも、周りの人達も楽しんでいるのが分かる雰囲気の中で観る映画は、本当にいいものだな。
映画館で観る事ができなかった『ウォーターボーイズ』を、こういう雰囲気の中で観てみたいと心底思う。
いつか是非、できるなら6月か7月に、このワンコインシアターで『ウォーターボーイズ』をやって下さい。




夜中に、台風21号による強風が吹き荒れた23日の朝、家の玄関を出ると、こんな状態になっていた。


外へ出て、周りを見てみると、お隣にも。

まぁ、仕方がないんで、不燃物のゴミ箱に入れたけど・・・・

昼の営業が終わった後、3階のバルコニーに出てみたら、ここにもあった。


どこから飛んできたんだろうと思いながら、ふと見ると・・・・あった!!

右端と、左側の手前半分が吹き飛んでいる。

で、これがどこかというと、上で既出の、オレの裸体が写っている画像の左上の隅っこに見える、近所の家の物干しだった。
   ここ ↓


この家の方は、高齢のため、自分の力で物干しに上がる事も出来ないそうなので、このままにしておくしかなさそう。
でも、なんか寂しいですね。
(後になって分かったのだが、このブログを投稿した時には、もう亡くなられていたそうだ。 合掌 )

ウチの町内(総和町1丁目)は、オレが子供の頃は飲み屋街だったけど、いつの間にか食べ物屋の町になっていて、そのうちに『グルメタウン総和一』なんて名前で売り出したらどうかと思っているくらいなんだけれど、思いつくまま挙げてみても、これだけある。

居酒屋・・・・あんらく亭、ヒダやんさ、樽平、こうぼう
寿司・・・・松喜すし
割烹・和食・・・・真山、かめ吉、ぞん家、やました、さくら
中華そば・・・・なかつぼ、麺屋とと
ステーキハウス・・・・ワンポンド
焼肉・・・・山武
フランス料理・・・・ビストロ ミュー
イタリア料理・・・・ラ フェニーチェ

高山市の中でも、これだけいろんな種類の食べ物を食べられる店が揃っている町は他にない。

ただ、問題なのは、店をやっているだけで、そこには住んでいないところが多い事。
年寄りが多いこともあって、誰も住まなくなった『空き家』が多く、それを借りて店をやっている人が多いわけなんですが、以前、町内会長をやった時、飛騨総社の祭礼の出仕についての話し合いで、宮司さんから「一番心配しているのは総和町1丁目なんですよ」って言われたくらい、年寄りの多い町内なんですよね。

独身で子供のいないオレがこんな事を言うのもなんだが、一番多かった頃の半分以下になってしまった町内の世帯数を、少しでも増やしていかなければ、って痛切に思います。
まぁ、そのためにも、少しでもウチの店をはやらせて続けていかなければならないし、ここに住んで商売をやっていく人を増やして、共存共栄でやっていく事が重要だと思いますね。
町内の人達にも、働きかけようか。



お客さんと話している時に、「やっぱりイタリアって、いいところですか?」って訊かれる事が結構ある。
そういう時には、「神経質な人には薦められないけど、何かあっても、イタ公のやる事はこんなもの、って笑える人だったら、絶対に楽しめるよ」って答えます。
まぁ、実際にそのとおりなんだけれど、とにかく、ちょっとした事にいちいちイライラしていたら、何も進まないのがイタリアなんですよね。

日本にいても、イタリアの製品を使うときに、それを痛感する事が結構ある。
ウチで前菜と一緒にお出しするグリッシーニは、トリノ産のものなんだけれど、一応、きちんとパックされている・・・・筈なんだけど、まぁ、なんと言うか、やっぱりイタリアの製品だなぁ、と実感する事が多い。

小分けされてパック詰めされたものが、さらに大きい袋に入って送られてくるわけなのだが、グラム数で表示されているので、入っている量は間違いないと思う。
でも、その小分けされたパックの内容量がバラバラで、見ただけでも全然違うのが分かる事もあるくらいだし、過去に一度だけ、中身がカラのパックが入っていた事もある。
こっちも慣れたもので、特に腹を立てる事もなく、イタ公のやる事だからなぁ、って思って見てますけどね。

先日、袋からパックを取り出そうとしたら、カラのパックが出てきたので、「うゎー、久しぶりに見たよ」って思いながらもうひとつ取り出そうとしたら、きちんと封がされてなくて、中身が全部出てしまった。



流石にこの時は、思わずムッとしてしまったのだけれど、まだまだ修行が足りませんなぁ。



次はまた、『いろいろあって 冬編』で。

では、また。
Ciao. Arrivederci!!  

Posted by spock at 07:56Comments(0)スポーツ出来事料理

2017年10月03日

いろいろあって  2017年初夏~秋 前編

Ciao. spockです。

もう10月かぁ・・・・
毎日、バタバタとすごしているうちに、朝晩もめっきり涼しくなり、月日の経つのは速いなぁ、ってしみじみ思います。

この夏は、ヘンな天気が続き、夏らしい事がなにもできないうちに終わってしまい、欲求不満気味・・・・9月に入ってからは天気のいい日が多かったけれど、こんな天気が8月に続けばよかったのにって、ずーっと思ってました。

北朝鮮の不穏な動きや、解散総選挙で浮き足立つ政界など、おかしな空気が流れ続けた9月も終わりましたが、そんな中でも感動した出来事は、土星探査機『カッシーニ』のミッション終了でした。
20年にわたって、膨大な画像と貴重なデータを地球に送り続けたカッシーニも、燃料切れ直前に土星に突入し、大気の組成データを送信しながら消滅・・・・最後に送られてきた画像を見ながら、目をうるうるさせてしまった。(この事は、このブログの後編で詳しく書きますが)



なかなか以前のような長い文章を書くヒマがなく、このブログの更新も滞り気味ですが、今回は、Facebook に書いたものを元にいろいろ書き加え、また、Facebook には書いていない文章も加えてまとめてみました。
結構長くなったので、前編と後編に分けてアップしますが。
Facebook を見てもらっている方には、もう読んだ、って言われるかもしれませんが、初めて書いた文も結構あるので、もう一度読んでもらうのもいいのではないかと・・・・


さて、本文に入る前に、ひとつお知らせです。
昨年に引き続き、大人のための音楽会 Viva La Musica Ⅱ が、12月23日(祝) 15:30から  ホテル アソシア 3階 天翔の間 で開催されます。
アコースティック楽器の演奏か声楽であれば、始めて間もない方からヴェテランまで、どなたでも参加して頂けます。

コンサート終了後は、ラ フェニーチェで懇親会が行われます。
懇親会は自由参加で、懇親会のみの参加もOKですが、どちらも10月10日までに申し込んで下さい。
もう8割方埋まっているようなので、お早めにどうぞ。

問合せ、申込みは、細江音楽教室 34-6796 まで。




では、本文に戻って、5月の話から。


5月4日、飛騨総社の祭礼に出仕のため、ランチを休業して、行列の旗持ちをしてきました。



8年前に、裃を着て警固に出た事はあったけど、今回は歩くだけでなく、旗を持たなければならないので、班長さんから、「大変な役でほんとに申し訳ないな」って言われていたのだけれど、大事な氏神様の事ですから。
もっとも、実際にやってみたら、それほど大変でもなかった、というのが本当のところなんですけどね。

指定の時間にお隣の霊雲寺へ行くと、世話係りのオバチャン達が待ち構えていて、着付けやら何やら、すべてやってもらえた。
さらしを輪にしたものを首からかけて、そこに旗の棹の先を引っ掛けるようにしてくれたので、これならそれほどしんどい事はないなと思ったしだい。

行列が出発するまで、結構時間があったので、飛騨総社の境内で、世話係のおじさんと話をしていたのだが、過去のいろんな話や裏話を聞かせてもらった上で行き着くのは、人口減少と高齢化の中で今後の祭をどう維持していくのか、という事。
今回、オレが持った旗は、端の方が結構擦り切れていたのだが、この旗を1本新調するだけでも、数十万円かかるそうだ。

オレが子供の頃、飛騨総社の祭行列の長さは大変なものだったが、それが今は半分くらいしかないんじゃないだろうか。
昔に比べ、人も減ったし使えるカネも減ったという事なのだが、なんか寂しいよなぁ。

オレが持つ『朱雀旗』の位置は、神輿の右前。
旗自体はそれほど重いものでもないし、首からかけた晒の輪に引っ掛けるので、重労働というわけではないのだけど、風が吹くと煽られて大変です。

出発すると、結構ペースが速くて、前を歩いている雅楽の人達が、「えらい速いな」と言っているのが聞こえたけど、あまりのんびり進むよりはいいんじゃないかと思って歩いていたのだが、全体の3分の1を過ぎたくらいのところで、後ろから、役員のリボンを付けた裃のおっちゃんが来て、「位置がおかしい」って言い始めた。

そのおっちゃんは正しい事を言っているのだろうし、言っている事はよく分かる・・・・でも、今初めて聞く事だし、あんまりにも上から目線の言い方だったので、思わず言ってしまった。
「そこまで言うんなら、あんたがスピードを調整して位置を合わせればいいやろ。オレたちは、こんな事をやるのは初めてやし、いきなりそんな事を聞かされて、すぐにできるわけがないやろが。」
そのおっちゃんは、一瞬口ごもった後、「ここの係は何をしとるんや」って言いながら、後ろの方へ戻って行った。

で、その後も行列は進み、もうじき角を曲がるという時、さっきのおっちゃんが来て、今度はまったく穏やかな口調で、「次の角を曲がると急に風が強くなるんで、旗を持っている人は煽られんように注意して」と言った。
へー、このおっちゃん、こんなふうに言えるんや、と思って見ていたら、むこうもオレの視線に気がついて、まぁ、『目は口ほどにものを言う』という事か、「危ないと思ったら、旗は倒してもいいからね」とも言ってくれた。

オレは、目上の人に対しては、一応は敬意を表すことにしているんだけれど、時々、こういう事をやってしまうんだよなぁ。
まぁ、自分のやった事は間違っていない、という確信があるけど、でもやっぱり、まわりの雰囲気を悪くするような事は、できればしたくない。

で、その後、日進木工で休憩に入り、他の分隊との時間調整もあって、1時間以上も待たなければならなかったのだけれど、そこを出発する少し前に、そのおっちゃんが話しかけてきて、この辺りは昔から風の強いところで、祭りの行列はいつも大変だった、というような話を、ニコニコとしながら話してくれて、オレもそういう話を聞くのが好きなので、質問しながら聞いていたのだが、まぁ、結果オーライという事かな。

その他にも、行列の中のあるグループの先頭の2人が、趣味の話に熱中してだんだん遅れるようになってきたので、速く進むように言ったら、露骨に嫌そうな顔をされて、その後は完全無視されたけど、スムースに進むようになったので、それで正解だったと思う。(そんなヤツとお友達になる気もないし)

その後、他の分隊と合流して、御旅所での祝詞や獅子舞、闘鶏楽など、結構な時間がかかったけど、5時前には飛騨総社に戻り、無事役目を終了する事ができた。

次にやるのは、何年後になるんだろうな。




以前、ランチに来られた若い女性のグループと話をしていた時、何の話からだったか忘れたが、「オレ、いくつに見える?」って訊いたら、「42歳」って言われて、なんか嬉しかったんだけれど、実際のところ、還暦を意識する歳になると、身体のあちこちに不具合が出てくるのは仕方がない事なんだろうな。

中でも一番痛切に感じるのは『老眼』ですね。
20代の初めの頃、40歳で新聞を読むのに老眼鏡をかけていた先輩から、「目がいいと早く老眼になるぞ」って、よく言われたものだが、視力検査ではいつも1.5か2.0だったオレも、老眼が始まるのが早かったし、速く進んだのだと思う。

だからスマートフォンを使うのも難儀で、以前 iPhone 4s を2年間使ったけど、その後はガラケーと iPad の2台持ち・・・・その iPad でも、拡大しないと見難いのだから大変です。
そんなわけで、前回の投稿から画像のサイズを大きくしたのだけれど、今回からは更に大きくしたので、老眼の人でも見やすくなったんじゃないかと・・・・

で、去年の12月に受けた市の検診で、前立腺癌に関して「要精密検査」という連絡が来たので、1月に精密検査を受けたのだが、今まで病院には全く縁が無く、点滴すら打った事のなかったオレにとって、人生初のCTと点滴、それにMRIの体験をした。


 

これであと経験してないのは入院だけだなぁ、なんて思っていたのだが、3月に検査の結果を訊きに行った時、問題はなさそうだけれど直接細胞を取り出して検査してみますか、と言われたので、お願いしたら、一晩入院する必要があると言われ、ついに人生初の入院を経験する事になるのかぁ、って思っていたわけです。
と同時に、ここで無入院記録も終わりかぁ、っていう気持ちもあったんですけどね。

で、ゴールデン ウィーク明けに、入院の準備をして病院に行き、最初に血液検査を受けたのだが、その結果を見た先生が、「これなら大丈夫でしょう、今日はもういいですよ。8月にもう一度検査しましょう。」って・・・・

結局、入院する事無く帰って来たわけだけれど、3月からゴールデン ウィークまでの、あの気持ちはなんだったんだろう。
でも、このまま人生が終わる時まで入院を経験する事無く過ごせたら、それは幸せな事なんだろうな、って思いますね。




以前、『ウォーターボーイズ』のDVDを見て「夏までに身体を引き締め直そう」って思っている、と書いたのだけれど、夏のプールシーズンまで2ヵ月となった5月の中旬・・・・始めましたよ。

インターネットで検索した中から、「これは効きそう」と思ったエクササイズを4つ、毎晩寝る前にやる事にした。
慣れるに従って、同じエクササイズをどんどんハードにしていく予定でいたのだが、インターネットで調べると、いろいろ効きそうなエクササイズが出てくるので、実際にやってみて効きそうなものと入れ替えながらやってみた。
どこまで効果があるのかは未知数だけれど、何とかプールに行く時期には間に合うんじゃないかと思ってやっていたわけ。

まぁ、こんな事をわざわざ公言したのも、そうする事で自分にプレッシャーをかけていたわけなんだけど・・・・

ふと思い出して探してみたら、23年前の夏、西伊豆の土肥へダイヴィングに行った時に、THE101のプール横のセンターテラスで撮った写真が出てきた。




そこに写っているのは、30代前半の自分の身体。
週に3日、赤坂のティップネスに通って、ウエイトトレーニングと水泳をしていた時期なので、きれいに腹筋が割れている。

実を言うと、その当時、この写真を見るまで、自分の腹筋が割れている事に気がつかなかったくらいなので、今考えると、それほど真剣にやっていたわけではなかったのかもしれない。
だから、その写真を見て、その頃の事を思いながら、イメージトレーニングをしていたわけですよ。
まぁ、何とかなるだろう、って。

もっとも、お客さんにはメチャメチャカロリーの高い料理を出しておいて、自分だけシェイプアップするのも、チョッと気が引けますがね。

で、その結果がどうなったかは、近日公開予定の、このブログの後編で見てもらう事にしましょう。
(そんなものは見たくない、という人はスルーして下さい)




毎年、ジャガイモが新物に替わると、水分が多すぎて美味くないので、水分が落ち着くまでニョッキを作るのを止めるのだけれど、それから少し遅れて、真赤なトマトが出回るようになると、入れ替わりに作り始めるのが、トマト入りカルボナーラ。



オレ自身、他所の店で見た事がないので、イタリアでも、ごく限られたところでしか作られていないのだと思う。

一般的なカルボナーラに比べても、味付けはシンプルそのもの。
でも、トマトの旨味が加わる事で、本当に美味くなる。

「普通のカルボナーラより好き」と言われる事が多いけど、オレ自身も、こっちの方がずっと好きです。
去年、料理の出張講習会をやった時も、これがすごく好評だったし。

真赤なトマトが出回る時期だけの『季節限定メニュー』なんだけれど、これを作り始めると、夏が近づいている事を実感します。
キリッと冷やした白ワインを合わせると最高ですよ。




うれしい再会ができた。

スポーツが大嫌いだったオレが、雑誌『ターザン』の取材を受けた事をきっかけに、スポーツにのめりこみ始めた事は、5年も前に『人生を変えた出来事』というタイトルの超長編ブログに書いたのだけれど、まず最初に始めたのが、ウェイトトレーニングと水泳だった。

ウェイトトレーニングに関しては、マシンを買って、自室でやっていたのだけれど、水泳はプールに行かない事には始まらないので、電話帳で三ノ宮から行きやすいスウィミングスクールをいくつか探し、実際に電話で問い合わせてみて、ここにしようと決めたのが『本山スポーツセンター』だった。

三ノ宮から阪神電車で青木まで行き、そこから10分ほど歩くと、本山スポーツセンターはあった。
1986年の秋に行き始めてから、1991年の6月に東京へ行くまで、4年半と少し、週1回の休みの日の夜はたいてい行っていたので、今考えると、本当に真面目に通ったよなぁ、って思う。

休みの日に風邪で熱を出した時も、夜、プールで泳いで来たら、次の朝には熱が引いていたし、イタリアから帰って来た時も、その足でプールに行って泳ぎ、時差ボケを直したし、当時は健康管理のためにプールに行っていたように思える。

で、その本山スポーツセンターのスウィミングスクールで、初期の水慣れから、クロール、バック、ブレストストローク、バタフライと、時間はかかったけれど、泳げるようになるのが楽しかったし、一緒に習っている仲間や、教えてもらうコーチとのフランクな雰囲気が、オレにはすごく合っていたんだと思う。

で、そのコーチには、センターの社員の人と、大学の水泳部員がアルバイトでやっている人がいたのだが、年齢が近い事もあって、水泳部員のコーチから指導を受ける事が多かった。
だから、そういう若いコーチに無理矢理お願いして、センターの水泳のVTRをダヴィングしてもらった事もあったし、そういう関係は良好だったと思う。

オレが東京へ行く事になり、その事は一応みんなには話してあったのだけれど、最後に行くときには、ちゃんとお礼と挨拶をしようと思っていたのに、最後の週に急な用事が入って行けなくなり、みんなに挨拶もできないまま東京へ行ってしまった事が、その後もずーっと心に引っ掛かっていた。

で、5月のある日、ディナーの予約の電話が入ったのだが、日時や内容など、一通り聞き終わったところで、そのお客さんからこう言われた。
「本山スポーツセンターで、アルバイトで水泳のコーチをやっていた者なんですけど・・・・」

オレは一瞬、頭が混乱したね・・・・オレがここで店をやっている事なんか、分かるはずがないんだから。
思わず「どうして分かったの?」って訊いたのだけれど、説明されて納得した。
高山に旅行する事になったので、どこで食事をしようかと探していて、ウチのウェブサイトを見た時に、オレの写真の横顔から、『あの』西野さんに間違いない、と思ったそうだ。
よく顔も名前も憶えていてくれたよなぁ、って感動しましたね。

予約の当日は、お土産を用意して待っていた・・・・で、26年ぶりの再会。
とにかく料理を食べてもらって、デザートも食べ終わったところで、昔の話に花を咲かせた。

まぁ、こういう時って、あぁ、そんな事もあったよなぁ、って話が結構出てくるもので、30年前に戻ったような時間を楽しむ事ができました。
最後に絵の前で記念撮影。



コーチ、本当にありがとうございました。
また来て下さいね。




ヨーロッパの食文化を、映画『スウィングガールズ』に出てきたセリフ風に言うと、こんなふうになる。
「ヨーロッパの食文化は2種類に分けられる。オリーヴ・ワイン文化と、バター・ビール文化だ。」

ところが、北のバター・ビール文化と、南のオリーヴ・ワイン文化の境目にある北イタリアは、その中間とも言うべき、バター・ワイン文化なんですよ。
だから、料理に合わせるには、基本的にワインをお勧めするけれど、バターを多用する料理なので、ビールを合わせるのも悪くないと思う。

ただし、こってりとした料理が多いので、濃厚なビールでないと負けてしまう。
なので、ウチでは『ブラウマイスター』の生をお出ししているわけなのだけれど、これは本当に美味いビールだと思います。

生ビールは、クラスに注ぐ事で商品になるわけですから、注ぎ方はもちろんの事、グラスの状態やサーヴァーのメンテナンスなど、気を遣う点が多いのだけれど、ウチではビールの劣化を防ぐため、樽ごとビールを冷やす、樽冷却式のビールサーヴァーを使っています。

この方式のサーヴァーは、現在では手に入らないそうで、きちんとメンテナンスをしてもらいながら、大切に使っているのですが、この前、ビールが通るホースを新しいものに取り換えてもらったら、なぜか泡の出方が変わってしまい、メンテナンス担当の人にいろいろやってもらったけれど、どうしても納得のいく泡にはならなかった。

先日、その担当の人が、廃棄されたサーヴァーの中から部品を探し出してきれいに磨き上げ、ウチのサーヴァーの部品と交換して、ホースを内径の小さいものに取り換えてくれたら、以前よりもきめの細かい、クリームのような泡が出るようになった。
本当にありがたい事です。



最高の状態のブラウマイスター〈生〉を、ぜひ料理に合わせて飲んでみて下さい。(カウンターで、生ハムやチーズをつまみに飲むのもいいですよ)



ただし、ビールの泡は油に弱いので、飲む前に唇の油を拭き取ることをお忘れなく!!




TAKAYAMA DE KANPAI

高山で乾杯~!

面白い企画なので、参加させてもらいました。
結構な数の店が参加されてますが、その中でもウチは、一番毛色の変わった店なんじゃないかと・・・・

まぁ、ウチの場合、乾杯しながら騒ぐ店ではないし、料理の見た目も素っ気ないし・・・・でも、そういう店が参加している方が、敢えてそういう店を選ぶ楽しさがあって面白いでしょう。
とにかく、楽しんでもらえればいいとは思っていたのだけれど、だれも投稿してくれなかったらどうしよう、と思っていた事も確か。

でも、3名の方が投稿してくださったので良かった。

ウチが紹介されたページは今後も残るそうなので、そちらも見てもらえればいいかと。




おかげ様で、『ラ フェニーチェ 12周年感謝パーティー』は、30名のお客さんに来て頂き、食べて飲んで頂いて、無事終える事ができました。

今年は、常連のお客さんと、世話になっている方に限って声をかけさせてもらったのだけれど、遠くは大分から、わざわざこのパーティーのために来て下さった方もあり、本当にありがたく思っています。

例によって、オレはひたすら料理を作っていたので、料理を出した後は、すべてお客さん任せなのですが、それでもキチンとパーティーが成り立ってしまうのが、ウチのお客さんのすごいところ。
改めて、ウチのお客さんのレヴェルの高さに感心してしまいました。

今回お出しした料理は、次の通りです。

生ハム、サラミ、コッパの盛り合わせ
魚介類のサラダ ニース風
グリーンアスパラのミラノ風
温野菜の焦がしバターソース
カポナータ

パルマ風リゾット
ホウレン草入りラザーニェのボローニャ風
スパゲッティ エトナ風ミートソース
手作りマカロニのソーセージ入りトマトソース
ペンネリガーテの4種チーズソース

スズキの岩塩包み焼き
タイのモンテカルロ風バターソース
オマールと魚介類のワイン蒸し
鶏の魔女風鉄板焼き
ローマ風サルティンボッカ
野菜サラダ トマトドレッシング

パンナコッタ

あと2品ほど用意していたのですが、もう食べられないと言われたので、ここでストップしました。

写真を撮っているヒマがなかったので、料理の画像はなし。 
調理場から撮った写真も何枚かあったのだけれど、なぜかピントが合ってなくて、その中でもまともなのがコレ。

まぁ、雰囲気は分かると思いますが・・・・

今年は、例年に比べ、花をもってきて下さった方が少なかったけれど、その代わり、ワインや酒を持ってきて下さった方が多く、それはそれでうれしいものですね。 




来年、13周年のパーティーができるように、また1年頑張ってやっていきたいと思っています。
13年目に入ったラ フェニーチェを、これからもよろしくお願いします。




8月の6日と7日は、毎年恒例の『しもいち通りの七夕まつり』・・・・残念な事に今年は、台風接近のため2日目が中止になり、6日だけの営業になりましたが、多くの方に来て頂き、本当に楽しくやらせてもらいました。
途中で急な雨に降られて「もう終わりか」と思ったのに、その後も途切れる事無くお客さんが来て下さった事は、本当にありがたかったですね。

ブラウマイスター、ワイン、スプマンテ、ランブルスコ、イタリアンカクテルetcと、他所では絶対に飲めないであろうものを取り揃えてやっているわけですが、毎年わざわざ、ブラウマイスターを飲みに来て下さる方も何人かみえるし、目の前でカクテルを作るのを喜んで見てくれるお客さんも多いので、年々、メニューが増えていますけどね。




今年はすぐ隣で、初参加の飛騨乃キッチンさんが営業されましたが(FBでは友達になっていたのに、お会いするのは初めてでしたが)、いろいろ話をしながら営業できて、楽しかったです。



飛騨乃キッチンさんは、9時前には完売されてましたが、ウチも土日だった去年よりは少なかったものの、予想以上に売れました。

もう1日やりたかったなぁ、というのが本当のところですが、相手が自然では仕方がない・・・・まぁ、1日楽しませてもらった事で、良しとしておきましょう。

中田酒店の中田祐一君が、営業中の画像をアップしてくれたので、シェアさせてもらいましたが、よく雰囲気がとらえられていますね。
https://www.facebook.com/nakadasaketen/posts/906658882818764    






毎年ここでは、パーカにフットボールパンツを組合わせた、オレの定番スタイルでやっているのだけれど、夫妻で今回初めて覗きに来てくれた、ウチの常連で高名なミュージシャンの浦田恵司さん(日本のシンセサイザープログラミングの第一人者で、奥さんは歌手のAZAMIさん)に、「勝ちゃん、今日は面白いスタイルだね」と言われたので、「ミック ジャガーも、こんなスタイルでステージに立っていたでしょう」って答えたら、「確かに」って納得されていた。

毎年、この七夕が終わると、夏が半分終わったな、って思うのだけれど、今年は夏らしい事を、まだ何もやってない・・・・今度晴れたら、プールだな。





長くなったので、続きは「後編」で。

では、また。
Ciao. Arrivederci!!  

Posted by spock at 07:50Comments(0)スポーツ出来事料理

2017年04月18日

昔の仲間が

Ciao. spockです。

春祭りも終わりましたねぇ。

今年も夜祭を見に行ってきましたが、例によって最後は、恵比須台が組内を通るところを見ました。
あの古い町並みの狭い道を、すり抜けるように通って行く時の美しさは、他では見る事はできないでしょうね。
ちなみに、去年それを録画した動画は、ここで見れます。

顔馴染みの恵比須台組の人が、「再来年はウチの組が宮本です」って教えてくれたけど、あの町並みをすべての屋台が通って行くのを見れるのは、本当に今から楽しみです。


さて、春祭の15日、昼の営業を終えて家にいると、インターフォンが鳴ったので出てみると・・・・
赤坂の店でアルバイトをしていたN君でした。

以前、タベルナ デル コッレオーニの事を検索した時にウチの事を知り、今回、高山に来る事になったので寄ってみたとの事。
グループでの旅行なので、自由時間がランチタイムに間に合わなかったそうなのだが、それでも、わざわざ尋ねて来てくれた事は本当にうれしい。

店に入ってもらい、エスプレッソを出して、いろいろ思い出話に花を咲かせていたのだが、「写真を撮っておかなかった事が残念だ」と言うので、ウチにあるアルバムを出して見せた。




タイトルの下に、1991.6.28.とあるので、オープンする直前に撮られた写真なのだが、店を閉めた時、事務所にあったのを持ってきたもので、これ以外の写真は残っていない。
バブルの絶頂期に計画された店なので、今後もこんなゴージャスな店ができる事はないと思う。

その画像は、9年も前に書いたブログに載せているので、そちらを見てもらえばいいかと・・・・

Taverna del Colleoni の話 その1

Taverna del Colleoni の話 その2

今も年に数回顔を出してくれる当時のアルバイトがいて、この前来た時、今年の12周年感謝パーティーに当時の仲間たちを呼んで集まりたい、と言われたのだが、それもいいかなと思っている。
当時は学生だった彼らが、今はどんなふうに生きているのか見てみたいと思うし、話もしてみたい。

ウチとタベルナ デル コッレオーニがオープンしたのが、偶然にも同じ7月1日で、今年はちょうど土曜日にあたるので、その日が12周年のパーティーになるのだが、それは偶然ではなく、必然なのかもしれない。
まぁ、今から楽しみにしているんですけどね。


では、また。

Ciao. Arrivederci!!  

Posted by spock at 07:50Comments(0)出来事

2017年04月11日

いろいろあって 久しぶり編 その2

Ciao. spockです。

前回の投稿から、もう2ヶ月が経ってしまいましたが、前回の続きの『その2』を、なんとかまとめる事ができました・・・・例によって、長くなりましたが。
去年の後半から最近の事まで、Facebookに投稿したものを手直しして使ったところも結構あるので、これ見た事ある、って思われるかもしれませんが・・・・

やっと、最近の事まで書く事ができましたから、これからは、このブログとFacebookを同時進行で書いていきたいと思っています。
店の事をすべてひとりでやっている現状では、以前のような長い文章を書くのは難しいのですが、時々は、マニアックな超長い文章も書きたいと思うので、そういう時は、長い文章に付き合って下さい。

では、『いろいろあって 久しぶり編 その2』です。


《 3年ぶりの伊豆で 》 

今から20年以上も前、スキューバ ダイヴィングにハマっていた事があり、時間が取れなくなって断念したのだけれど、一時はダイヴマスター(プロ)を目指していたほどのめり込んでいた。
忘れもしない94年の3月20日、富戸と伊豆海洋公園を潜るツアーに参加した時、一緒になったメンバーとすごく気が合って、それ以来、いつも一緒に潜りに行ったり、遊びにいったりしていたのだけれど、オレが東京を離れる直前には房総半島をめぐる旅行を企画してくれたり、高山へ遊びに来てくれたりと、今でも付き合いが続いている。
ちなみに、そのメンバーは全員、オレのことを普通に Spock と呼ぶ。

6月のある日、いつもみんなが集まる企画をしてくれるメンバーから、久しぶりに「タライ乗り競走」に出よう、というメールが来た。
タライ乗り競走、正式には『松川タライ乗り競走』は、毎年7月最初の日曜日に、伊東温泉の真ん中を流れる松川を、タライ船に乗って約400m下るレースで、個人戦、団体戦など、いくつかのカテゴリーに分かれて参加できるのだが、3年前に一度参加した事がある。

その時は、前日に伊東に集まって一晩泊り、翌日レースに参加するという予定だったのだけれど、その数日前になって、前日の夜にパーティーの予約が入ったため、当日の朝、出かける事になった。
結局、パーティーが終わってから2時間ほど寝て、3時過ぎに出発し、順調に河口湖大橋を過ぎたところまで行ったのだが、そこで道を1本間違えたらもとに戻れなくなり、頼りにしていた iPhone のナビアプリもリセットされてしまって使い物にならず、自分がどこにいるのか分からないまま、ひたすら伊豆方面に向かってクルマを走らせたが、当日合流する予定の、地元出身のメンバーに助けを求めて、何とか時間に間に合い、個人戦に参加して、完走(?)する事ができた。

そのあとは、久しぶりにみんなと食事をし、3時過ぎには帰途についたのだが、沼津市内を走っている時、東京で世話になった人が沼津に引っ越した事を思い出し、そこへ寄って話をしているうちに遅くなり、結局、高山へ帰り着いたのは、夜中の2時。
丸1日で、650kmを走破するという強行軍ではあったけど、本当に楽しかった。

前回の経験をふまえて、今回は道に迷う事無く行けるように、あらかじめ地図を頭に叩き込み、間違えやすいところもチェックして紙に書いておいて、3時半過ぎ、伊東へ向かって出発した。
途中で2~3回、少しだけ遠回りもしたけど、11時前に、何とか伊東駅に到着。
駅前の駐車場にクルマを停め、スタート地点の『いでゆ橋』に向かうと、みんなが待っていてくれた。
3年前に揃えた黒いTシャツに着替えると、ちょうどオレの名前が呼ばれ・・・・ギリギリ間に合った。



河原に下りていくと、仮装したグループや、浴衣姿の観光客、外人の参加者などでごった返している中、レースが行われていたが、1回のレースに5分程度はかかるので、待ち時間は結構長い。
今回グループで揃えたのは、アラレちゃんの帽子とメガネ・・・・あんまりオッサンに似合うとは思わないが、まぁいいか。
他のメンバーは、すでに団体戦に出た後だったが、結果は散々なものだったらしい。
偶然にも、その時の動画が Youtube にアップされていた。(一番手前のグループ)



で、いよいよ名前を呼ばれ、スタート台へ行く。
5人並んでスタートなのだが、オレは左から2番目・・・・左の方が流れが速そうなので、ちょうどいいかも。
直径1m弱、深さ30cmくらいのタライに乗るわけだが、胡坐をかいて、膝を前につけて乗るように言われる。 
意外と不安定で、結構ひっくり返る人が多いのも分かるが、流れに乗ってしまえば、それなりに安定する事は、前回経験済み。
両手に、大きいしゃもじのような櫂を持って、スタートのピストルを待つ。

スタートと同時に、左側の女の子が流れに乗って飛び出し、オレより少し前を行っているのだが、その子が一生懸命掻いた水が、全部オレにかかった。
アッタマにきたんで、こいつだけは絶対に抜いてやる、と思いながら流れに乗って行ったら、いつの間にか先頭に出ていた。

ちょうど半分くらいまで行った時、川の中に何人もの人が立っていたのだが、どうもそのあたりは岩の多いエリアのようで、サポートのために立っているらしいのだけれど、そこへ近づいていっても、全く何もしない。
で、仕方がないので、流れに乗ったまま進んで行ったら、岩に乗り上げた・・・・おっちゃん、見てないで教えてよ。

タライに乗ったまま、押し出してもらってレースに復帰したけど、10秒くらいはロスしたかな。
でも、先頭を譲ることなく、1位でゴールし、1着の旗を受け取った。
その後、大会本部へ行って 参加賞をもらい、後はもらった入浴券で温泉に浸かってゆっくりしようか、と思っていたら、メンバーのひとりが、Spockの名前が出てるよ、って呼びに来た。
で、行ってみると、個人成績の2位のところに、オレの名前とタイムが出ていた。 



1位との差は4秒・・・・岩に乗り上げていなければオレが1位だっただろうな、とは思ったけれど、これは仕方がない。
表彰式があるそうなので、全部のレースが終わるまで、待っていなければならないのだが、そういう時って、結構長く感じるものですよね。
で、待っていると、本部のテントが吹き飛ばされそうになるくらいの強風が吹き始め、その追い風で次々に好タイムが出始めたので、ヤバいなぁと思いながら見ていたら、最後の最後で、オレのタイム上回る人が出た。 



結局、3位という結果で終わったわけだけれど、毎年参加している人が多い中でのこの結果は、上出来なんじゃないだろうか。



でも、いつかリベンジしないとね。
表彰式で、賞金と賞品を受け取ったけど、もらった賞金5000円は、ガソリン代の一部になったから、まぁ、それでよしとしよう。

参加賞に入っていた入浴券を持って、指定された『東海館』へ行くと、そこは昭和初期に建てられた木造建築の古い旅館で、時間の関係で小浴場に案内されたのだけれど、いかにも昔を感じさせる、味わいのある雰囲気の浴場だった。
で、その後は、3年前と同様に、伊東駅前の居酒屋に行き、食事をしながら、積もる話に花を咲かせ、来年も参加しようという事を決めて、駅前で解散した。


その後は、3年前を思い出しながら、国道414号線(ダイヴィングをやっていた頃、大瀬崎へ行く時に通った懐かしい道だ)を通って沼津市内へ入り、港大橋を渡って、『沼津みなとアートビル』へ行き、1階の和風カフェ『ねこや』へ入る。
名前の通り、この店には何匹もの猫がいて、猫好きの人にはたまらない店なんだけど、実はこのビルの中には、全部で20匹近い猫がいるのである。

で、優美子さんと、3年ぶりの再会。
優美子さんは、オレの大好きな画家で、スウェーデンのアトリエにまで遊びに行った事のある、中島由夫先生の絵を中心に扱うギャラリーをやってみえて、赤坂で働いていた時に本当に世話になったのだが、まるで親戚の叔母さんのようにオレのことをかわいがってくれた。
どうしようもないくらい落ち込んだ時、優美子さんに電話すると、「晩御飯を作って待っているから、いらっしゃい」と言ってくれて、中央林間駅近くの、そのギャラリーへ行って話をしていると、そのホンワカした雰囲気に、いつの間にか気持ちが落ち着く・・・・本当に何回も助けてもらった。

数年前、ずっと手伝っていた圭三さんと一緒に、ギャラリーごと沼津へ移転し、和風カフェの『ねこや』は、地元の人が集まる人気店になっているようだが、これも優美子さんの人柄のせいかな。
前回(3年前)は、沼津市内を走っている時に急に思いついて行ったので、お土産も持たずに行ったのだけれど、今回は谷松のこくせんを持って行った。
前回は話だけして帰ったのだが、今回は「朝早く起こしてあげるから、今夜は泊まっていきなさい」という言葉に甘える事にした。

この沼津みなとアートビルのすぐそばには、沼津港深海水族館があり、その一角には居酒屋やカフェなどが立ち並んでいて、その巨大な居酒屋で晩御飯をごちそうになったのだが、話のタネにという事で、深海魚のグリルを頼んでみた。
ハッキリ言って、特に美味いというわけではなく、ホントに『話のタネ』だったが、その他のものは美味かった。



優美子さんの部屋で休んでいると、1匹の猫がオレのそばに来て、じっとオレを見ている。
他の猫たちは、侵入者であるオレに全く興味を示さないのに、その猫だけ、なんでだろうと思っていると、優美子さんに「その子は中央林間から連れてきたの、覚えてるでしょう」と言われ、思い出した。
ある時、優美子さんと話しているうちに終電が出てしまい、その部屋に泊めてもらう事になったのだが、オレの布団を敷くと、優美子さんは友達のところへ泊まりに行って、その部屋にはオレと3匹の猫だけになり、夜中にその猫たちが布団の中に潜り込んできて、朝まで一緒に寝た猫のうちの1匹だというわけ。
ちゃんと仲間だと覚えているんだね。

翌朝、5時に起きて、屋上に上がってみると、富士山が大きく見えた。
少し霞んではいたけれど、やっぱり日本一の山だな。



朝食をもらって、6時過ぎに出発し、246-138-137-甲州街道とガンガン飛ばしながら高山へ向かったのだが、なんとか11時過ぎに到着・・・・昼の営業に間に合った。

今年の『タライ乗り競争』は7月2日で、ぜひまた参加したいと思っているのだが、その前日がウチの12周年感謝パーティーなので、行けるかどうか微妙なところなんだよなぁ・・・・
さて、どうなることやら・・・・



《 海に行きたい!! 》

考えてみると、2003年の夏に、伊豆の鄙びた海水浴場に行って以来、一度も海に行っていないので、「今年こそ店を1日休んで海に行こう」と思っていたのだけれど、いろいろ調べてみた結果、「北陸のハワイ」水島でシュノーケリングをする事に決めた。



そんな話を店に来た友人にしたら、水島ならオレも行きたい、と言うので、オッサンふたりで行くのもどうかとは思ったけれど、一緒に行く事になり、急遽アマゾンから簡易テントを取り寄せたり、シュノーケリングの機材を引っ張り出してきたりした。




ところが前日になって、友人から(文字通りの「家庭の事情」というヤツで)急に行けなくなったと言われた。
まぁ、仕方がないんで、ひとりで行こうかと、機材をバッグに詰めようとしたら、なんと、シュノーケルがバラバラに壊れた。



20年以上も前に買ったやつだから、素材の「経年劣化」なんだろうけど、これは「行くな」という天からのお告げなんだろうな、と思ったので、残念だけど行くのを諦めた。
当日、店は開けたのだけれど、夜、友人はわざわざ謝りに来てくれて、ワインを飲んで帰った。
いいヤツだな。(この友人とは、世界で活躍するテノール歌手、と言えば分かるでしょ)



《 マニアックなスウィムパンツ 》

水島行のフェリーは、8月いっぱい運航しているそうなので、なんとか行きたいと思っていたのだけれど、ありがたい事に予約が続いたため、行けそうにもなく・・・・でも、あんまりいい天気だったので、昼の休憩時間に、市民プールへ行ってきた。
3年ぶりだったけど、入場料は変わらず、250円!!



競泳用のビキニで人前に出るにはそれなりの覚悟がいるけど、その緊張感のおかげで、若い頃とあまり変わらない体形でいられるのだと思う。
まだ『ミカエルの菱形』もハッキリ見えるけど、歳をとった分、身体に丸みが出てきた事も確か・・・・引き締めないといけないな。

早速泳いでみたけど、久しぶりに泳ぐせいか、泳ぎ方を忘れているなぁ。
オレはブレストストローカー(平泳ぎ専門)なんだけど、以前は50メートルを、水中でのひと掻きひと蹴りの後、22ストロークで泳いでいたのに、水がキャッチできていない上、腹筋の使い方が悪いせいか、上下の動きのない、平面的な泳ぎになってしまって、効果的に水を蹴る事ができていないため、24ストロークに増えてしまった。
300m泳いだあたりで、ようやく感覚が少し戻ってきて、22ストロークに戻ったけど、なんかまだ納得できないなぁ・・・・
でも、そのあと仕事もあるので、後半はプールサイドに寝っ転がって、のんびりと過ごした。

プールから上がって更衣室へ向かう時、たまたま目が合ったスタッフの人と挨拶した事から、少し立ち話をしていると、その人がオレの穿いているパンツを指差して、「今はそんなのがあるんですねぇ」って言うと、さらに素材を確かめるように触ってみて、「これ、水球用でしょう。さっきプールサイドで見て気になっていたんだけど、水球やってたんですか?」って訊かれた。

オレが穿いていたのは、水中で掴まれても破れないように特殊コーティングされた、独特の光沢をもつ水球用パンツ(ウォーターポロパンツ、通称『ポロパン』)で、素材の性質上、水に入った時に水圧で緩む事がないので、その点を気に入って使っているわけなんだけれど、その事を話したら、水球をやっていたというその人は、「確かに」って納得してましたね。
(後で知人が教えてくれたのだが、このスタッフの人は、西小学校で着衣水泳の講師をしてみえるそうで、バルセロナ オリンピックの時、水球のナショナルチームで出場直前までいった(予選の最後で敗退した)というスゴイ人だそうだが、そんな人が、なぜ高山にいるのか不思議ではあるけれど、もし高山に深いプールがあったら、コーチとして子供たちに水球を教えてもらえるんだろうけどね。)

で、オレが気に入って穿いているこの『ポロパン』は、スポーツ用品メーカーのミズノが作っている、れっきとした競技用アイテムなのに、インターネット上で「フェティッシュアイテム」扱いされている事もあって、これを穿いてプールで泳ぐのには、ある種の勇気がいるみたいなのだけれど、オレは他人の目より自分の感覚を優先する人間なので、全く気にせずに穿いているわけです。

自分にとってベストのスウィムパンツを見つけて喜んでいたのだが、すごく残念な事に、ミズノがこのタイプ(RQ-632)の競泳用・水球用ビキニの製造中止を発表した。(その理由は、本来の用途ではない使い方をしている動画や画像が、インターネット上で多く見られるようになったからだと言われている。実を言うと、このポロパンは、そっち系のショップで見つけて買ったのだけれど、今後はミズノ製のものを扱う事はなさそうなので、もうそのショップで買う事はないだろう。)
あわてて、自分のサイズで残っていた最後の1枚を手に入れたので、今のところ全部で3枚持っているけど、ポロパンは、劣化しやすいポリウレタンでコーティングされているため、寿命があまり長くないらしく、少しでも寿命を伸ばすように扱わなければならないわけですよ。



もっとも、9年前に買ったポロパンは、今もまだ使える状態なので、意外と長く使えるのかもしれませんが・・・・
聞いた話では、密封袋に入れて空気を抜いた状態で保存するといいらしいのだが、どんなものなのか、やってみるかな。



《 定期演奏会、無事終了 》

おかげ様で、高山室内合奏団 第13回定期演奏会を無事終了する事ができました。
ありがとうございました。

 




実のところ今年は、演奏会までにトラブルが続きました。
例年より選曲が遅れた事から始まり、ヴァイオリン独奏をお願いしていた村中さんに、腱鞘炎でドクターストップがかかったため、曲が変更になり、極めつけは、演奏会の2日前に指揮者の鴨宮さんが急遽入院し、前日夜のゲネプロ(総練習)にギリギリで退院するという、今考えても、よくできたよなぁ、って感心するくらいの綱渡り状態が続きました。
(画像は、ゲネプロと、当日朝のリハーサルのものです)

ヴァイオリンの人達。


低音域を支えるコントラバス。

 
指揮者の鴨宮さん。病み上がりで、結構しんどそう。


毎年参加してもらっている、木管楽器の人達。


岡山県から毎年来てくれる、ヴィオラの和田さん。

 
オレの前にヴィオラを弾いていた小淵さん。オレが借りて弾いていたのは、この画像のヴィオラ。


チェロの人達。


指揮者と、ステージマネージャーの打ち合わせ。


フルートとオーボエの人達。


本番直前の舞台袖。




また、毎年、8月最後の日曜日は、行事が重なるのですが、今年はそれが特に多く、クラシックの演奏会だけでも3つ重なったため、お客さんが分散してしまうという、あまりありがたくない状況でもありました。 

そんな状況の中、例年より少なかったとはいえ、予想していたより多くのお客さんに来て頂けた事を、本当にありがたく思うとともに、例年以上に多数のアンケート用紙が返ってきて、多くのご意見を頂けた事は、団員一同、心から感謝致しております。

例年に比べて演奏時間が短くなり、物足りなく思われたのではないかと心配していたのですが、今までで一番良かった、と言って下さった方もおられた上、アンコール曲(ワーグナーの歌劇ローエングリン第2幕から エルザの大聖堂への行列)の演奏を、多くの方が喜んで下さったようで、ホッとしました。

プログラムのあいさつにも書いたように、今年の定期演奏会では、ベートーヴェンの交響曲第2番に挑戦します。
今年も8月最後の日曜日に定期演奏会がありますので、今から予定に入れておいて下さい。
お待ちしております。

高山室内合奏団 第14回定期演奏会
      2017年8月27日(日) 飛騨芸術堂にて 14時開演  入場無料
  予定演奏曲目  
      レスピーギ  リュートのための古風な舞曲とアリア 組曲第3番   
      シンディング  古風な様式の組曲 作品10 
                    ヴァイオリン独奏  村中 一夫
      ベートーヴェン  交響曲第2番 ニ長調 作品36



《 高山でアメフトを 》

10月2日に、中山公園陸上競技場で行われた「富士通フロンティアーズ アメフト体験教室」を見てきました。
市内の小中学生を対象に、希望者を募って行われたようですが、参加希望者に、スポーツ少年団の団員が加わって、30人ほどでの開催になったとの事です。





社会人になってから、プライヴェートチームで一から教えてもらいながらアメフトをやったオレからすれば、子供のうちにこういう経験をできるのは、本当に羨ましい。

ただ、全く不可解なのは、その参加申込用紙を見た人以外には全く知らされていなかった事。
オレは、上仲剛司君が電話をくれたので知ったけど、高山市全体に告知されていれば、見に行く人も、もっと多かっただろうと思うし、少しでも多くの人に見に来てもらえるようにする事が、わざわざ来てくれたフロンティアーズの人達に対しての礼儀だと思うのだが・・・・

最後に応援グッズをもらいに行った時、プレイヤーやスタッフに「高山まで来て頂いて、本当にありがとうございます」と言って頭を下げてきたけど、今一つ吹っ切れない思いではありますね。



でも、30年以上も前から「高山にアメフトチームを作ってデンヴァーと交流したい」と言っては、みんなにスルーされていたオレからすれば、すごい進歩だと思います。

さて、その「高山にアメフトチームを作る」という話なのだけれど、夢物語ではなくなってきた。

ウチのお客さんに、日大フェニックスで日本一になり、現在は、本業の傍ら、大学でコーチをしている方がおられるのだが、近い将来、高山でアメフトを教えたいと言われた。
過去に、多くの高校生をアメフトの推薦で大学へ進学させた実績があり、当然そのための技術や経験、それにコネも持っておられるわけだし、高山を活性化させる方法なども、かなり考えておられる方なので、期待できると思っている。

その内容については、いずれ書く事になると思うので、詳細はその時に。



《 絵を1枚、店内に掛けました 》



冬のパリを描いた、荻須高徳のリトグラフで、バブルの頃に手に入れてからずっと持っていたのですが、イタリア料理の店にフランスの風景画を掛けるのもどうかと思って、掛けるのを躊躇していたわけです。

もっとも、オープンしてから3年位の間、『南フランス』というタイトルの絵を飾っていた事があって、その時は「南フランスと北イタリアは緯度的に同じようなところだから」と言い訳していたのだけれど、さすがにパリの風景画となるとねぇ・・・・

この前、あるお客さんにこの絵を見せたら、絶対飾った方がいいよ、と言われ、その言葉に背中を押されて掛けてみたのですが、これはこれで、結構いいんじゃないかと。



カウンターの横の壁にピッタリと納まったのを見て、ここに掛けるためにオレのところに来たんだ、と勝手に思ったりして・・・・




《 料理の道へ進むきっかけのひとつ 》

先日、ふと思いついて検索してみたら・・・・出てきたよ、『世界の料理ショー』
もう40年も前、オレが高校生の頃の平日(確か水曜日だったと思う)の昼間にやっていたので、祝日か学校が休みの時にしか見れなかったのだけれど、それでも4~5回は見たと思う。



グラハム カーが、かなり適当ながらも、いかにも楽しそうに料理をしているのを見た事が、オレが料理の道に進むきっかけのひとつになったのは間違いない。
もっとも、料理の事より、最初の小噺の事をしっかりと覚えていたりするんだけど。

調理師学校で教えていた時、『世界の料理ショー』のノリでやったら面白いだろうな、って思っていたのだけれど、今でも結構本気で、『世界の料理ショー』のノリで料理講習会をやってみたい、と思っている。

最後にお客さんを引っ張り込んで、一緒に食べながら感想を聞くなんて、すっごく楽しいと思うね。




《 コンサート 》

12月4日、さくらホールで行われた、『水口 聡 with オーケストラ アンサンブル金沢  テノールとストリングスの競演』は、本当にすごかった。



満席とは言えない入りだったのが、ちょっと残念だったけど、水口は「空席以外は満席だ」と言って客を笑わせていた。
 
オーケストラだけの演奏をはさみながら、9曲が歌われたのだけれど、水口はノリノリで、声を張り上げて高音を目いっぱい伸ばし、客席からだけではなく、オーケストラの団員からも拍手を受けていた。

弦楽器16人のアンサンブルで、指揮者なしの伴奏のため、少しずれた部分もあったけど、そんなのは些細な事で、最後まで本当に楽しませてもらった。

水口は、リハーサルの時まで、指揮者(過去に共演した事のある井上道義さん)が来るものだと思っていたそうなのだが、指揮者なしで合わせるのには、それなりに苦労したらしい。

終演後、楽屋へ行って、持って来たスプマンテを渡したら、今夜行ってもいいか、と言われたので、合奏団の練習が終わった9時半に、という事で話は決まった。



で、9時半に総勢6人が集まり、途中からオレも加わって、ワインを飲みながら、コンサートの事や音楽の事など、熱く語り合っているうちに、気がついたら12時近くになっていた。






自分の身近に、こういうすごい歌手がいる事や、楽しみを共有できる仲間がいる事は、本当に幸せだと思う。

 

《 クリスマス ファミリーコンサート 無事終了 》

おかげ様で、高山室内合奏団のクリスマス ファミリーコンサートは、多くの方々にご来場頂き、盛況のうちに無事終了する事ができました。
ありがとうございました。




今年も例年と同様に、飛騨市民病院(非公開)、船津座、高山市民文化会館での3公演を行いましたが、高山、神岡公演ともに、準備していた席がいっぱいになり、特に高山では、立ち見の方が結構おられたので、休憩中に追加の椅子を用意しましたが、来て頂いた皆様には、本当に感謝しております


 








今年は、新しい曲を多く取り入れた事もあり、練習不足かな、と思っていたのですが、思っていた以上に上手くいったというか、結構弾けていたと思います。

また、いつも高山室内合奏団の演奏会で、ステージマネージャーとして取り仕切ってもらっている、伊藤健生さんに、歌手として『世の人忘るな』を歌ってもらいました。
いつも裏方なので、今回は一番目立つ役をやってもらったわけです。

高山公演では、毎年恒例の(株)なべしまさんの協賛による、出来立てポップコーンが大人気で、かなりの量を追加で作ってもらいました。



今年も司会をやりましたが、船津座では、なぜかマイクが使えず、声を張り上げて話していたら、結構かみましたが、2日目の高山公演では、マイクも使えたし、馴れた事もあってか、リラックスして、大部分をアドリブでやれたので、よかったのではないかと・・・・

このコンサートの事は、13日の中日新聞に取り上げられましたが、写真の右端に、オレが写ってました。





《 クリスマス 》

毎年、12月に入ると、世の中はクリスマス一色になるし、特にこの業界では、一大イヴェントと言ってもいいくらいの扱いになるわけだが、ウチはここ何年か、全く『クリスマス』には関係なく営業している。

もちろん、クリスマスメニューをやってほしいと言われれば、喜んでやらせてもらうし、薪ストーヴを焚いたり、中庭に電飾をつけたりして、雰囲気を盛り上げ、全力でサーヴィスしますよ。



でも、オレの方から「クリスマスメニューはどうですか?」とは言いたくない。
だって、仏教徒のオレがそんな事を言ったら、めちゃくちゃウソ臭いでしょ。

まぁね、客を集めるためには宗教の違いなんか構ってられない、というのが大多数の日本人の考え方なのかもしれないし、世の中とはそういうもの、と言ってしまえばそれまでなんだけど・・・・
でもオレは、やっぱり正直に生きたいですね。



《 発表会 》

2月26日、今年も新宮の教会で、ヴァイオリンの発表会がありました。
毎年の事とはいえ、やっぱり緊張しますね。

今年選んだ曲は、ヴィヴァルディのイ短調のコンチェルト。
毎年誰かがやる曲なので、敢えて避けていたんだけれど、先生に「ヴァイオリンをやる以上避けて通る事ができない曲でしょう」って言われて、まぁ確かにそうだなぁ、って納得したので、挑戦する事にしたわけです。



で、教本に載っている楽譜を見ながら練習していたのだけれど、参考にと思って、大好きなヴァイオリニスト、ヘンリク シェリングの演奏を聴いてみたところ、なんか違う・・・・フレージングだけでなく、音程も結構変わっている。



楽譜を無料でダウンロードできるサイト『ペトルッチ』で調べてみたところ、教本に載っている楽譜は、ヴィヴァルディのオリジナルに、かなり手を入れたものだと分かった。
おそらく、スズキメソッドあたりが、練習用に変えたものなんだろう。

そう分かったら、オリジナルでやろうと思い、先生に言うと、いつものように半ば呆れながら、「それはいいけど、これは難しいよ」って言われた。
一見、オリジナルの方が簡単そうに見えるのだが、4音、あるいは8音を、移弦しながら一弓でレガートで弾かなければならないところが結構あって、これをきれいに弾くのが難しい・・・・音が途切れたり、雑音が混じったりしやすいのだ。
教本に載っている楽譜は、そこを上手くごまかせるようにしてあるんだな。

でも、敢えてやってみようと決心して練習はしたものの、やっぱり手強いなぁ。
本来、速いテンポで弾くように書かれている曲なのだけれど、技術的に追いつかないので、ゆっくり目のテンポで弾くと、逆に粗が目立ちやすくなるところがあったりして、途方にくれたり・・・・
そんなこんなで、なんとか最後までたどりつけるようになり、本番では、多少のミスがあっても、最後まで弾ききれればいいかな、と開き直って構えていた。

本番当日の午前中にリハーサルをやったけど、まぁこんなものかな、といったところ。
完璧には程遠いけど、なんとか弾き通せるかな、と・・・・

本番は、午後1時からなんだけれど、少し早めに行ったら、もうみんな来ていた。
オレの出番は、後ろから3番目・・・・オレより上手い人の方が多いんだから、もっと前の方が気がラクなんだけど、なぜか毎年、最後の方なんだよね。
出番を待っているうちに、緊張感だけがどんどん高まっていくから・・・・



いよいよオレの出番。
ステージに上がって、まず、これから演奏するのがヴィヴァルディのオリジナル版で、教本に載っているのとは別のものである事を話すと、一部の人が興味を持ったみたい。
で、演奏を始める。
緊張していたせいか、いつもより速めのテンポで合図を出してしまい、ちょっとヤバイかな、と思いながら弾いていたのだけれど、やっぱり、指が追いつかずにとちったところが何ヶ所かあった。

曲の半分が過ぎ、最初のテーマが戻ってきたところで、急に伴奏と音が合わなくなった。
あれっ、違うところに入ってしまったかな、と思ったら、伴奏の細江さんが「ごめんなさい」って言って、伴奏を止めた。
後で聞いた話では、伴奏譜のページをめくっているヒマがない曲なので、全ページを開いて譜面台に置くはずだったのに、一箇所折りたたんだままになっていたそうだ。

どこから弾きなおそうか、って言ったら、最初からやりましょう、って言われて、結局、もう一度最初から弾く事になった。
1回目の方が上手くいったところも、2回目の方が上手くいったところもあったけど、なんとか最後まで弾き通す事ができたので、良しとしておこう。
聴きに来ていた人から「長く弾けてよかったね」って言われたけど、こっちはもう、大変なんですから。



発表会の後の反省会では、みんな、来年こそ練習してもっと上手く弾けるようにしたい、って言うんだけれど、なかなかそれができないんだよなぁ。
でも、目標は少し高めにして、それを超える事で上手くなるわけだから、やるしかないんですけどね。

オレには、いつか弾けるようになりたいと思っている曲があるんだけれど、それが超難曲で、いつだったか先生の前で少しだけ弾いたら、なにやってるの?、って言われてしまった。
全く曲として聴こえなかったみたい。
まぁ、少しずつ練習して、身体で憶えるしかないんですけどね。
それが、この曲。



まぁ、いつかは弾けるように、がんばりましょう。



《 ウォーターボーイズ 》

オレの大好きな映画『ウォーターボーイズ』・・・・突っ込みどころは結構あるけれど、「思い入れ」と「ノリ」と「勢い」で駆け抜ける潔さは、実にイイ!!
2月の終わりに、初回生産限定デジパック仕様のDVDがメチャメチャ安く売られているのを見つけて、思わずポチってしまったのだが、それが届いたので、ホールのスクリーンにプロジェクターで投影して大画面で観た。(確定申告でバタバタしているのにねぇ)
 


長期の合宿までして練習を重ねた出演者たちが、実際に観客の前で演技をして撮影された10分に及ぶ演技のシーン(下の動画の1:16:35から)は、何回観ても惹き込まれる。(下の動画は音が少し遅れるし、著作権絡みのせいか、一部の音声が消えている)



昔懐かしいベンチャーズの『ダイヤモンド ヘッド』に合わせての陸ダンスから始まり、『カルメン』前奏曲から、シルヴィー ヴァルタンの『あなたのとりこ』での水中でのフォーメイションシーンのスゴさもさる事ながら、みんなで出し合った意見をすべて取り入れて、陸上と水中の両方ではじけまくる、Only you~愛のしるし~学園天国、と続くあたり(1:20:57から)は、後のテレビドラマシリーズで、さらに高度なシンクロの技術を持ってしても超える事のできなかった、最高のパフォーマンスシーンだと思っているし、そのために張り巡らされた伏線には、ホント、感心してしまう。
(映画版、テレビドラマ版、テレビドラマ版2を見比べると、後のものほどシンクロ技術のレヴェルは高くなっているのだが、そこから受ける「感銘度」は、後のものほど低くなるのが皮肉ではある。)






マニアックな見方になるけれど、この映画でのボーイズのビキニの穿きこなし方は、競泳用といえばビキニしかなかった時代に水泳をやっていたオレの目から見ても、実に様になっていると思う。
実際のところ、本当に「泳げそう」に見えるのは、2サイズ以上小さめのものを尻の割れ目が少しだけ見えるくらいに穿く、というのがビキニ時代のスウィマーの一致する認識だと思うが、ボーイズが(サイズはともかく)そこをキチンとおさえた穿き方をしているのは、本当に解った人が指導したからだろうし、後のテレビドラマ版で使われたArenaのものよりシャープなフォルムの旧Speedo(現Mizuno)のビキニが使われているのもイイ!!

自分の目標の1つに「いつまでもビキニの似合う身体でいる事」というのがあるので、オレは今でもプールでは競泳用のビキニしか穿かないし、そのおかげで何とか体形を維持できていると思っているけれど、改めてこの映画を観た今、夏までに身体を引き締め直そう、って思っている。



と、Facebookに書いたら、それを読んだお客さんに言われた。
「あのボーイズの年齢設定って17才でしょ。40才も若い子に対抗意識を持つのってどうなの?」

大人気のなさでは誰にも負けない事は、よ~く分かっているんですけどね・・・・まぁ、ハードルは高くしておいた方が、下をくぐりりやすいですから・・・・



《 久しぶりにラザーニェを 》

ウチのお客さんを、飛騨地区の人と、それ以外の人に分けると、後者の方が多い事は分かっていたのだが、ここ2年ほどに関して言えば、ディナーを予約して来店されるお客さんの85%以上が飛騨地区以外の人なんです。
さらに言うなら、年に2回以上、予約を入れて下さる方も、飛騨地区以外の人が圧倒的に多く、岐阜、名古屋はもとより、東京、横浜、金沢、富山、大阪、神戸、広島などから、定期的に予約を入れて下さる方がおられる事を、本当にありがたく思うわけです。

まぁ、専門店なんていうのは、マニアックな、というか、ある程度解った人を対象にやっているわけですから、高山の人でウチに来てくれる人が限られるのは当然の事なんだけれど、ちょっと寂しい気もする。
でも、州ざき、角正、萬代へ普段から出入りしている人が高山にどれだけいるか、と考えると、まぁ、そんなものなんでしょうね。

先日、年に3~4回、名古屋から来て下さるお客さんが、誕生日に予約を入れて下さったのだが、ラザーニェをリクエストされたので、久しぶりに作った。

ラザーニェって、結構手間がかかるのだが、まずはホウレン草を練り込んだパスタを作るところから始める。




ミートソースには、ベシャメルソースを混ぜておき、重ねる時に、エメンタールと炒めたハムを載せる。



実を言うと、ラザーニェの出来を決めるのは、このソースの混ぜ方だったりする。

4段重ねたら、最後にベシャメルソースで覆って完成。





Lasagne verdi alla bolognese.
グリーン ラザーニェのボローニャ風

オーヴンから出したらすぐにお客さんのところへ持っていくので、焼き上がりの画像はナシ!!
あと3人前ほど残ってますよ。


  
例によって長くなりましたが、最後のラザーニェの話を書き終わったところで、久しぶりに、「書いたなぁ」って気がしました。
上にも書いた通り、これからはFacebookと同時進行で、ちょくちょく書いていこうと思っていますので、時々覗いてみて下さい。 

では、また。

Ciao. Arrivederci!!    

Posted by spock at 07:45Comments(0)スポーツ出来事料理雑考

2017年02月06日

いろいろあって 久しぶり編 その1

Ciao. spockです。

久しぶりの投稿なんですが、今、見てみたら、9ヵ月半も更新してなかった・・・・決して、忘れていたわけではないんですが。
その間、覗いて下さった方々、ありがとうございます。

今は、店の事をすべて1人でやっているので、以前のように、思う存分長い文章を書くのは、かなり難しい状態で、Facebook にちょこっと書いてごまかしている状態なんですが、書きたいと思う事が溜まってきたので、思いついた勢いで書いてみようと思います。
中には、Facebook に書いた事と重複するところもありますが・・・・
とにかく、長編になるので、2回に分けてアップします。


ではまず、前回書いた、『こだまーれ 2016』のオープニングセレモニーの話から始めましょうか。

オープニングセレモニーは、4月24日の午後1時半の開演だったのですが、文化会館大ホールでのリハーサルは、その前々日と前日の夜、それに当日の昼前の3回という事で、予約が入っていなかったので、ホールに慣れるため、すべて参加しました。
それと、春慶塗の楽器がどこまで鳴るか、という事を実際に試してみたかったというのもありましたが。


文化会館の大ホールで演奏するのは初めての事で、どんな響きになるのかは、実際にやってみるまで分からなかったのですが、ホームグラウンドである『飛騨芸術堂』に比べて、ホール自体の容積が大きく、ステージ上に反響版がないため、客席に十分な音量が届くのかが問題になるわけです。
まぁ、結果としては、客席の後ろの方まで、ちゃんと音は届いていたそうですが、ごく控えめにPAを併用する事になりました。

最初のリハーサルに行った時、ホールに入ると、一面のスモークで、ホールの中が霞んでいるのに驚いた。
演出のため、という事だったけど、そこまでやる事が必要なんですかねぇ。


ステージに上がり、配置を決めるところから始まったのだけれど、これがまた厄介なんですよね。
いわゆる『多目的ホール』の場合、その構造から、ステージ上で発された音の大部分が、ステージの上と横に逃げてしまうため、少しでも多くの音が客席に届く位置を見つけなければならないわけです。
今回は、ステージの後ろの方の頭上に、発光版が4枚吊り下げられていたので、その前に並ぶ形で配置が決まりました。


スモークが充満する客席



演奏する曲は、
 モーツァルト  アイネ クライネ ナハトムジーク 第1楽章
 ワーグナー   歌劇 ローエングリン 第2幕から エルザの大聖堂への行列
 ハルヴォルシェン   ヴァイオリンとヴィオラのためのパッサカリア
 シベリウス   アンダンテ フェスティーヴォ
の4曲で、ハルヴォルシェンの曲は、ヴァイオリニストの村中 一夫さんと、元団員でヴィオラの専門家である、小瀬 直統さんのデュオによる演奏。

過去に何回も演奏している曲ばかりなので、楽器ごとのバランスや、ホール内での響きを確認する方が重要な目的、といった感じでしたが、やはり、いつもとは違う感触でしたね。
でも、2日に亘るリハーサルで、結構響くようになったと思いました。
喉の弱い人は、スモークに咳き込みながらのリハーサルで大変でしたが、2日目からはマスクが用意されました。

で、いよいよ当日。
集合時間より早めに行ったのだけれど、もう、みんな集まって、指慣らしや楽譜のチェックをしていた・・・・気合が入っているな。




楽器の調整のために、府中市から駆け付けてくれたドンマイヤーさんも、調整に余念がない。


前日から、合奏団のメンバーの楽器も調整してもらったのだが、オレはヴィオラだけでなく、ヴァイオリンの調整もしてもらえた。

デュオの演奏をする、村中さんと小瀬君も、楽屋で練習中。


リハーサルの時間が来て、ステージの席に着く。




元団員の平塚さんも、今回の演奏に参加する事になり、久しぶりに一緒に演奏する。


配られたオープニングセレモニーのプログラムを見ると、春慶楽器には、それぞれ名前が付けられているとの事・・・・全然知らんかったわ。

でも、その名前が、作曲家の名前とオペラのタイトルをごちゃまぜにしたのは、いかがなものかと・・・・

iPad で写真を撮っていたら、すぐ隣のチェロの広田さんが、オレを撮ってくれた。


春慶塗のヴィオラは、小瀬君に渡したので、ここで弾いているのは自分の楽器。
リハーサルの間、ずっと春慶楽器を弾いていたのに、いきなり自分の楽器に戻ったら、少し小さい分、高めに音程を取ってしまい、感覚が戻るまで、ちょっと苦労しましたね。
でも、腕の長い自分には、大きいサイズのヴィオラが合っている事が分かったのは収穫でした。

最終リハーサルが始まり、アイネ クライネ ナハトムジークを弾き始めたのだけれど、前日までとは打って変わって、全然音が出ていない。
特に緊張しているわけではないのだけれど、自分自身も含めて、なんか萎縮している感じ。
とにかく、全曲通して弾いたら、最後のアンダンテ フェスティーヴォのあたりで、やっといつもの調子になったかな。

このアンダンテ フェスティーヴォの最後に加わるティンパニは、いつも演奏に参加してもらっている、高山市民吹奏楽団の小林さんにお願いしていたのだけれど、クレッシェンドして最強打になるトレモロが、客席ではあまり聴こえないという指摘があった。
それで、ヴァイオリンの後ろから、横へ移動したところ、聴こえるようになったとの事。
ステージ上の位置決めって、本当に重要だな、と改めて思った次第。



あとは、本番まで、しばし休憩。 
その間も、ドンマイヤーさんは、団員の楽器の調整をしてくれました。

で、いよいよ本番。
ステージまでの通路で時間調整。
少し緊張してる、


と思ったけど・・・・そうでもないみたい。


ステージに上がって席に着き、静かに待っていると、幕の向こう側で、セレモニーが進んで行く。


そして、いよいよ幕が開き、アイネ クライネ ナハトムジークの演奏を始める。
たいていの場合、最初の曲の演奏は、幾分手探りというか、醒めた状態で演奏する事が多いのだけれど、この時もそんな感じ。
それなりの拍手をもらって、2曲目の「エルザの大聖堂への行列」に入る。
この曲は、弾いていて気持ちのいいところが結構あるので、だんだんノッてくるんですよね。
まぁ、ワーグナーの曲なんていうのは、ある種の「自己陶酔」がなければ成り立たないようなところがあるので、それでいいんじゃないかと思いますけどね。
後から聞いた話では、お客さんからの反応が一番良かったのが、この曲だったそうです。

続いてのハルヴォルシェンの『パッサカリア』は、殆どの人が初めて聴く曲だと思うし、あまり取っ付きやすい曲でもないのだけれど、変奏曲という事もあって、段々と引き込まれていくんですよね。
技術的にも難しい曲で、オレも挑戦してみたけど、第4変奏で挫折してしまったのだが、さすがに村中さんと小瀬君は、まったく危なげなく、全曲を弾ききった。
その上で、春慶楽器が、ちゃんとホールの一番端まで通る音を出せる事を証明してみせたわけです。

最後は、シベリウスの『アンダンテ フェスティーヴォ』
こういう式典で演奏するには、打って付けの曲ですね。
過去に何回も演奏している事もあって、合奏団のメンバーも、のびのびと弾いていたと思うし、弾き終えた後の達成感も、結構ありましたね。

今回初めて、文化会館の大ホールで演奏したわけだけれど、いい経験になりました。
これからも、機会があれば、いろいろなところで演奏していきたいですね。



高山市制施行80周年記念「高山祭屋臺からくり競演」 

布袋台が、初めて安川通りを越えて上町へ入った、記念すべき出来事ですね。
オレ自身の興味は、4台のからくり屋台が揃う事より、布袋台が上町を通るところにありました。
で、中橋を渡った後、上一之町を下って蔵に向かうところを、布袋台に付いて移動しながらVTRに収めたのですが、その一部を You Tube にアップしました。







こういう事が、次はいつあるか分かりませんから、結構貴重なVTRなんじゃないかと思っています。

今年もGWに、全屋台の曳き揃えがあるそうですが、今から楽しみですね。




Musica Libera Ⅵ

5年前に始まった Musica Libera も、今回で6回目。
第1回から、楽器経験の一番短い(要するに、一番下手な)演奏者として参加していたのだけれど、段々レヴェルの高い参加者が増えてきたので、今回は参加しなくてもいいかな、と思っていたら、いつの間にかチラシに名前が載っていた・・・・

とりあえず練習中の、ベートーヴェンの『ト調のメヌエット』を弾く事にして、演奏会のための練習を始めたけれど、付焼き刃的演奏になる事は仕方ないか。
毎回、「恥をかくほど上手くなる」という言葉を信じて、恥をかきに行っているようなものだけれど、さて今回はどうなるやら・・・・


たまたま、当日の朝にヴァイオリンのレッスンがあったので、とにかく聴けるように、という事で、先生にいくつかのポイントを集中的に手直ししてもらったのだけれど・・・・実際に本番ではきちんと弾けたのか、自分では分かりません。

ステージに上がって弾き始めたら、こんなふうに演奏しようなんて考えているヒマもなく、それまでの練習で身体が覚えた事がそのまま出てしまうだけなんですよね。


先生がわざわざ聴きに来て下さった事も、余計に緊張感を高める事になったのだけれど、弓が飛び跳ねてしまう事もなかったし、自分の出した音がホールの残響として聴こえてきたので、しっかりとした音が出せたのだと思う。
そういう意味では、少しは進歩したのではないか思います。

毎回恥をかきにいっているようなものだ、と上に書いたけど、700年も前に、兼好法師が『徒然草』の第150段に書いた事を、オレは信じたいですね。
ちなみに、それを現代語訳したのがコレ。

 これから芸事を身につけようとする人は、とかく「ヘタクソなうちは誰にも見せたくない。こっそり練習して、ある程度見られるようになってから披露するのがカッコいい」と言うものだけど、そういうことを言っている人が最終的にモノになった例はひとつもない。
 まだ未熟で下手な頃から、経験が長く上手な人たちに混ざり、バカにされようと笑われようと、恥ずかしがらないで気にしないで、才能がなかったとしても立ち止まらず、踏み外すこともなく年を送っていけば、最終的に、その道の極みを嗜まなかった人よりも上の立ち場になれるし、人望も備わって、多くの人に尊敬され、天下一の名声も得られるようになるものだ。
 ”神レベル”に上手いと言われている人でも、最初は未熟だという評価を受けてきたのだし、そのパフォーマンスには欠陥があったりもした。それでも、道の掟に従い、これを重んじて真剣にやった人が、その道のプロとして、様々な人の先生となってきたのだ。この事は、どの分野でも変わらない話だ。




大きいヴィオラがやってきた!!

実を言うと、今まで使っていたヴィオラは、オレの前に合奏団でヴィオラを弾いていた小淵さんから借りていたのだけれど、オレより小さい人なので、そのヴィオラも小さめの、390mmのものだった。
ヴィオラという楽器は、その大きさにかなり無理がある楽器で、音域から考えると、もっと大きくなければならないのに、それでは肩に乗せて弾けないので、無理やり今の大きさになったわけです。
だから、ヴァイオリンの胴長が355mmくらいと決まっているのに対し、ヴィオラは決まったサイズがなくて、380~420mmまであるサイズ(海外には、さらに大きいものもある)の中から、扱いやすいサイズのもの、あるいは、自分が扱える中で(低音がよく出るように)一番大きいサイズのもの、という選び方をされるんですね。

この前弾いた春慶塗のヴィオラは、415mmという大き目のものだったのだけれど、腕が長いせいもあってか、すごく弾きやすかったし、音程も取りやすく思えたわけです。
そんな経験から大きいヴィオラが気になって、中国のショッピングサイト AliExpress で探していたら、安いのにすごく良さそうな、ストラディヴァーリのコピーで16.5インチ(420mm)のヴィオラをみつけたのだけれど、それが期間限定で8%off になり、さらに少し円高になったので、思わずポチってしまった。

本体に弓とケースと松脂付き、8%offで368ドル、それに送料50ドルを加えて418ドル・・・・カード会社の利用明細では、46400円ほどだった。(それからしばらくして急に円高になったので、ちょっと悔しかったけど)
そのショップからは、以前にもヴァイオリンの弓を取り寄せたことがあり、送料無料なのに、きちんと梱包されて送られて来たので、まぁ間違いはないだろうと判断したわけだけど、多少はギャンブル的要素もありますね。
一番気になったのは、サイトにアップされている画像には、裏板の杢目がすごくキレイなものが写っているのだけれど、実際に送られてくるものはどうなのだろうか、という事。
相手が自然の木を使ったものだけに、個体差というのは避けられないわけだけれど、やっぱりキレイなものの方がいいに決まってますからね。

オーダーしてから約2週間・・・・EMSで荷物が届いた。 


大きさは想像していた通りだけれど、持ってみると異様に軽く感じたので、大丈夫かな、と思いながら箱から出してみると、


ケースの中に、ヴィオラと弓と松脂がキチンと入っていた。

ケースが発砲スチロール製のものなので、すごく軽く感じたわけです。

裏板を見てみると、ウェブサイトの画像にアップされていた個体が送られてきた事が分かり、やはりこの店はしっかりしているな、と感心した。

ちなみに、現在は別の個体の画像がアップされているので、各個体ごとに画像を変えているみたいだ。

今まで使っていたヴィオラと、大きさを比べてみると、胴体の長さだけでも、約3cm長い。

その分弦長も長くなるので、音程の取り方も微妙に変えなければならないわけです。
このヴィオラはすごく軽くて、今まで使っていた小さめのヴィオラよりも軽いので、左腕に負担はかからないのだけれど、手が大きいわりに指はそれほど長くないオレにとっては、弦が長くなった分、指を広げて押さえなければならないので、特に小指に負担がかかりそう。
でも、一番指を拡げなければならない、C線のGと、G線のAsを同時に押さえることができるので、なんとかなりそうではありますが。

付属の、いかにも安っぽい音のスティール弦(値段が値段だけに仕方がないんだけど)を、以前使っていた弦に張り替え、駒の位置を調整して音を出してみると、予想以上によく響く。
ただ、よく響くんだけど、なんか違う・・・・奥行きのない、薄っぺらい音・・・・
でも、いろいろ弾いているうちに、音の出し方が分かってきたのか、だんだん音が変わってきた。
その10日後に牧歌の里で演奏する曲を一通り弾いてみたら、音に芯が出てきて、それらしい響きが出るようになった。



この工房で製作された楽器を扱っている人が書いた文によると、この楽器に使われている木材は、古い建造物を取り壊した時に出る「建築古材」のスプルース(マツ科トウヒ属の木材 楽器や建築に使われる)を使って作られているので、完全に乾燥しているため、必要十分な厚さがあっても、軽くてよく響くのとの事。
複数のプロの演奏家から、音だけに関して言えば、入念に調整することで数百万円レベルの楽器と遜色ない音が出る、と言われたとか、この工房のヴィオラでコンクールに入賞したとか、書いてあって、それが嘘か本当かは分からないけれど、実際のところ、この値段で、これだけ良く響いてくれるのだったら、中途半端に高い楽器を買うより、こっちの方がいいんじゃないかと思ってしまった。 

とは言っても、やっぱり、値段相応の部分がある事も否めないわけです。
駒の上に刻んである、弦を載せるための溝が、1つだけずれていたので、やすりを使って手直ししました。
また、本来は黒檀が使われる指板に、黒く塗った木が使われているので、時期を見て、黒檀のものに交換してもらわないといけませんね。

あとは、自分で出来ることを少しずつやって、弾きやすくしていかなければならないわけですが、まず手始めに、少し回しにくいペグをなんとかしたい。
というわけで、Lapella のペグ コンパウンドを手に入れて塗ってみた。
以前使っていた、Hill のペグ コンポジションは、色が茶色で、なんか汚く見えてしまうのだけれど、今回手に入れたものは、色もきれいで、ペグの回りもよくなった。                    



それから、高さも形も、自分にはいまいち合っていなかった顎あては、ヴァイオリンにも使っていて、すごく気に入っているSASのものに替えた。


ヴァイオリンには、一番軽いペアーウッド(梨木)のものを使っているが、ヴィオラ用にはメイプルウッド(楓)をチョイス・・・・杢目がきれいに出ていて、見た目もいいと思う。

ちなみに、ヴァイオリンもヴィオラも、肩当てから顎当てまでの高さが同じになるように調整してある。

ヴァイオリンとヴィオラをダブルケースに入れると、いかにもそれらしい雰囲気になります。


以前、これを見た人から、「プロみたい」って言われた事があったけど、まぁ、見た目も大切というか・・・・ヘタなんだから、見た目くらいは良くしておかないとね。 

実際に、合奏団の練習の時に、このヴィオラを弾いていたら、周りの人から、「良く鳴るねぇ」って言われたので、そういう意味で、このヴィオラは「当たり」だったと思う。
あとは、自分の楽器として、地道に弾き込んでいくだけ・・・・まぁね、技術的にはまだまだなんだけど、

ところで、この前、あるサイトを見ていたら、17.5インチのヴィオラの話が出てきて、それがすごく気になっているんだけれど・・・




出張料理講習会

今までに、料理を教えてほしい、といわれた事は何回かあったのだけれど、最終的に詰めるところまで行かず、立ち消えになったのですが、今回は、希望された方がきちんと話を進めて下さったので、実現する事になりました。


参加者は、主婦の方6名で、その中の1人の方のお宅で行いました。
いきなり初めての場所で、家庭用の火力の弱いガスコンロを使ってやる事には、むつかしい点もありますが、そこは専門家ですから、何とでもします。 


「先生」なんて呼ばれるのは、調理師学校で、イタリア料理主任講師として教えていた時以来、20数年ぶりなので、少し気恥ずかしい気もしたけれど、すぐに慣れた。
「誰でも簡単に失敗なくできる」なんて料理ではなく、初めの何回かは失敗するかもしれないけれど、その後は自分の技術として応用が利かせられるようなる事を目標にしているので、店で実際にやっている事をそのまま見てもらい、ポイントになるところをできるだけ解りやすく解説する、というスタイルで進めました。

作った料理は、次の5種。
 パルマ風リゾット
 スパゲッティ トマト入りカルボナーラ
 スパゲッティ ベーコン・ブロッコリ入り アーリオ オーリオ ペペロンチーノ
 スパゲッティ ナポリ風トマトソース
 トマトドレッシング





時々ダジャレを混ぜたりして、笑いを加えながら進めました(もともと落語家になりたかった人間ですから、そういうのは得意です)が、簡単なところを手伝ってもらったり、洗い物をしてもらったりと、すごくやりやすかったし、こちらも楽しませてもらいました。


一通り、作り方を見てもらったところで、ご主人やお婆ちゃんも加わって、試食タイム。
味見をしてもらうと共に、しっかりと味を憶えてもらう。



最後に、「とにかく何回も作ってみて、失敗を乗り越えて、自分の技術にしてほしい」と話し、すぐに作れるように、パルミジャーノ レッジャーノと岩塩を、ほぼ原価でお分けしました。
翌日電話をしてみたら、さっそく作ってみました、と言われたので、皆さん頑張ってみえるなぁ、と思った次第。

講習中に、ダジャレを連発して笑わせていた時、「店で見た時は気難しそうな人に見えたけど、こんなに気さくで面白い人だったんですね」と言われた。
以前、あるお客さんから、「マスターはすごいツンデレですよね」って言われた事もあるし、どうも取っ付きにくい人に見えてしまうみたい。
そういうイメージを払拭するためにも、これからどんどん人前に出て行くほうがいいんだろうな。
講習会の要望があれば、どこへでも出かけて行きますので、お気軽にご相談下さい。



思いつくまま書いたら、例によって長くなりましたが、久しぶりに、「書いたなぁ」って気がしました。
Facebook に書いた文章を手直しして使ったところもありますが、それでもやっぱり、書くという事はいいですね。
またこれからも、ちょくちょく書いていこうと思っています。
次回は「その2」です。

では、また。

Ciao. Arrivederci!!  

Posted by spock at 23:35Comments(0)スポーツ出来事料理

2016年02月07日

いろいろあって 2015年後半編

Ciao. spockです。

2016年も、もう2月ですねぇ。
ホント、早いものです。

デンヴァー ブロンコスが、スーパーボウル出場を決めましたねぇ。
2年前は、全くの期待外れに終わってしまったので、今回こそ勝ってほしいですね。
かつてのジョン エルウェイのように、スーパーボウルの優勝を、ペイトン マニングの最後の花道にしてほしいと、多くのファンが願っていると思います。
下馬評では、パンサーズが有利と言われているけれど、ここはなんとかブロンコスに勝ってもらいたいですね。


さて、まずは最初にお知らせです。

先日、予約の電話を頂いて、コースの内容について話し合っていたら、「最後はココアにして下さい」と言われて驚いたのだけれど、ウチの裏メニューとでも言うべきココアの事を知っている人は、殆どいないはずなので、多分、8年以上も前に書いたブログを読まれたのだろうと思い、来られた時に訊いてみたら、やっぱりそうだった。
そんな古いブログを、わざわざ読んで予約して下さる事を、本当にありがたく思いますね。

その事をFacebook に書いたら、それを読んで来られた方からのリクエストがあり、ココアを実際に飲まれた何人もの方から、裏メニューにしておくのはもったいない、と言われたので、メニューに載せようかと考えているところです。
ただ、手間がかかる事や、ココア、生クリーム、牛乳をふんだんに使うため、エスプレッソからココアへの変更には200円の割増料金を頂いていますが、多くの方に実際に味わってもらうため、2月15日(月)までの期間限定で、ランチ、コース共に、ココアへの変更を無料にしています。
ぜひ、この機会にお試しください。



前回の更新から、もう1カ月が経ってしまいましたが、去年の後半、10周年感謝パーティーの準備の事を書いて以降、長い間書けなかった出来事を、まとめて書いてみたいと思います。
その間、Facebook にアップしいていたものもあるので、そちらを読まれた方には、2度目になるものもあると思いますが・・・・


まずは、10周年感謝パーティーの事から。

ウチがオープンしたのが、2005年の7月1日でしたから、丸10年が経ったわけですが、そんな事もあって、毎年恒例の『感謝パーティー』は、10周年という事で、盛大にやろうと思っていました。
6月27日の土曜日にやる事に決めて、例年より早めに、いつも来て頂くお客さんや、お世話になっている方々にお知らせしたのですが、なぜかその日は、他に用事がある、と言われる方が多くて、あまり集まりが良くないような感じだったんですね。
まぁ、それは仕方がない事なので、参加者は少な目でも、のんびりと楽しんでもらえればいいかと思いながら、準備をしていたのですが、10周年という事で、花を贈って下さった方も多く、それらをカウンターやホールに飾って、お客さんが来られるのを待っていたわけです。









毎年、7時に開始の予定でも、皆さんが集まるのが7時半か8時になるので、前菜とパスタを出して、様子を見ながら進めていくのですが、今年もそんなつもりで準備をしていたところ、7時前には30名近くの方が来られて、椅子が足りなくなって、慌てて椅子を持って来たりと、予定と全く違うスタートになりましたが、最初の乾杯を済ませた後は、もうひたすら料理を作るのみ。
まぁ、毎年の事なんだけれど、パーティーの進行は、お客さんがそれぞれに分担してやってくれるので、そっちは任せっきりなんですけどね。
今年も、妹と姪が手伝いに来てくれたのだけれど、解った上でやってくれるので、本当にありがたかったですね。


パーティーが始まってしばらくしたところで、高山室内合奏団の指揮者の鴨宮さんが、指揮棒を取り出して振り始め、みんながそれに合わせて、ハッピー バースデイを歌ってくれた。
いや、ほんと、うれしかったですね。
また、その時ピアノ伴奏をしてくれたのが細江美津子さんだったのだけれど、細江さんは4月に娘さんを亡くされてから、人の集まるところには顔を出されることがなかったので、ウチのパーティーのために来てくれたことを、本当にうれしく思いました。

他の用事があって来れないと言われていたけれど、用事を済ませてからわざわざ来て下さった方が何人もみえた事や、多くの方がプレゼントを持って来て下さった事を、本当にありがたく思いましたね。




過去に来られた人は分かってみえると思うのだけれど、食べるのが目的の人、飲むのが中心の人、話をする事を楽しむ人、というように、自然とグループに分かれるんですよね。
中でも、食べる事を目的にして来た人は、オレが料理を作っている目の前・・・・カウンターに座りますね。
今年、そこに陣取ったのは、同級生の桐山忠司君、ノア ド ココの今田政樹君、駿河屋の溝際清太郎君の3人。
妹も良く解っているので、オレが皿に盛りつけている横で、その3人と自分の分を取り分けてから、ホールへ持って行くわけです。
ホールの方の反応まで見ている暇はありませんが、目の前の3人の反応を見れば、だいたい料理がどんなふうに思われているかが分かりますね。

そんな状態だったので、写真を撮っているヒマもなく、ここで使っている画像の一部は、ノア ド ココさんのFacebookの画像を使わせてもらいました。
それから、ひたすら料理を作っていたオレに、何回も飲み物を持って来てくれた清太郎君の心遣いに感謝!!

ところで、この前お知らせした、4thヴァージョンのパンフレットに、『10周年を迎えて』というタイトルで新しく書いた文章があるのですが、今の本音をそのまま書いたものなので、それをここにアップしてみます。

 LA FENICEは、2005年7月1日にオープンしましたから、2015年7月1日から、11年目に入りました。こんな儲けの出ない事ばかりやっている、いつ潰れても不思議ではない店が10年も持ったのも、LA FENICEを愛して下さるお客さんのお陰と、心から感謝するとともに、よく続いたものだと、感慨深いものがありますね。
 LA FENICEをオープンするにあたって考えた事は、こんな小さな地方都市なのに、3軒の料亭が存在し成り立っている高山に、イタリアでの『料亭』にあたるRistorante を根付かせたいという事でした。10年やってみた今思うのは、30年早かったかな、という事ですね。少なくとも、あと20年はかかると思いますが、20年後、店主は75歳。「生涯現役」でやれる仕事ですから、それまで続けて見届けてから死ねたらいいな、と思っています。
 そんな事を思いながらも、目標とした料亭の方々が来て下さり、料理にそれなりの評価をして下さった事を本当にうれしく思います。中でも2014年末に亡くなられた『萬代』の橋本さんは、よくご夫婦で来店され、色々なお話を聴かせて頂きましたが、お通夜に参らせてもらった時、喪主の息子さんから「親父はお宅の料理を本当に気に入ってました」と言われた事は、同業者からの評価としてこの上ないものと、本当にありがたく思いました。
 ウチは、これ以上ないくらいの『専門店』だと思っていますが、専門店が「狭く深く」という性質を持っている以上、「すべての人に愛されよう」なんて思うのは、虫が好過ぎるわけで、むしろ「解らなければ来るな」くらいの心構えでなければいけないと思うし、お客さんの評価も(グルメサイトの評価にしても)、「すごく良い」と「全然良くない」の両極端の意見があるくらいでなければ、却って気持ち悪いですね。 それだからこそ「解る人には解る」を念頭に、自分が本当に良いと思うやり方で、地道に進んで行きたいと思っているわけです。
 そんな「非人気店」のLA FENICEが、自慢できる事をひとつ挙げるとするなら、それは、お客さんのレヴェルがすごく高い事だと思います。この場合の「レヴェルが高い」というのは、金持ちだとかセレブだとかいう意味ではなく、マナーとか、立ち居振舞いについての事なんですが、今までに働いたどの店よりも、間違いなくレヴェルが高いと断言できます。
その事が一番良く分かるのが、毎年6月最後の土曜日に行う『周年感謝パーティー』の時ですね。30人前後のお客さんが来られますから、店主は料理を作る事に専念するので、進行はすべてお客さんにお任せするわけですが、来られた方一人一人が、きちんとマナーを守りつつ、自然に役割を分担してこなして下さるので、トラブルも無くスムースに進む。これって本当にすごい事だと思いながら、毎年感心して見ているわけです。
 そんなレヴェルの高いお客さんばかりですから、紹介して下さる方も、同様にレヴェルの高い方ばかりで、本当にありがたい事だと思うのですが、その事を逆に言うと、お客さんの数が限られるという事なんですよね。だから、本音を言わせてもらうなら、お客さんがもう少し増えてくれたらなぁ、と言うところなんですが、まぁホント、難しいですよね。
 今までに何人もの方から「この店がテレビに出ないのは取材を断っているからなんでしょう」って言われた事がありますが、とんでもない、そんな話があれば飛び付きますよ。テレビ関係のお客さんは結構来られますが、その中のひとりの方と話をした時、「この店は他人に教えたくないからね」と言われましたが、そういう話がない理由はそれなのかと。
まぁね、そんな風に思ってもらえるというのは本当にうれしい事なんだけれど、「一度くらい取材に来てよ」というのも正直なところ。自分が本当に良いと思う事をやっていれば、いつかは多くの人に認められるだろうと思っているのですが、いつの事になるんでしょうね。


まぁ、これからもいろいろあると思いますが、11年目に入ったLA FENICEを、よろしくお願いします




高山室内合奏団の第12回定期演奏会は、8月30日(日)に、飛騨世界生活文化センター 飛騨芸術堂で行われました。


前半は高山室内合奏団の本来の編成である「弦楽合奏団」として、モーツァルトの『アイネ クライネ ナハトムジーク』と、組曲『惑星』でよく知られているホルストの『セントポール組曲』、後半は管楽器と打楽器を加えた「オーケストラ」として、モーツァルトの交響曲の中で最も明るく華麗な『ハフナー』というプログラムを組みました。

今年は、親戚の西澤佳代ちゃん(フルーティスト・編曲家)が参加してくれる事になり、練習のために、わざわざ千葉から来てくれたりして、大変だったと思うけど、本当にありがたかった。
2013年の11月に行われたフルートアンサンブルの演奏会で、その演奏を聴いた指揮者の鴨宮さんが、西澤佳代の演奏を高く評価してくれたので、定期演奏会への参加を打診したところ、兄ちゃんが里帰りの口実を作ってくれた、と言って快諾してくれたのだが、『ハフナー』はフルートの出番があまり多くないのが、ちょっと残念だったなぁ・・・・









前回の定期演奏会では実行委員長をやったのだけれど、初めての事で、何をやったらいいのか解らないまま、手探りでやっていたようなもので、前年の委員長に、おんぶにだっこのような状態だったので、今回は実行委員という事で、目立たないように手伝わせてもらう事にした。

当日は、8月最後の日曜日という事で、各地でイヴェントが重なり、また演奏会も他にいくつかあり、さらに雨という悪条件の中、予想を上回る300人弱の方に来て頂けた事を、本当にありがたく思います。
今回のメイン曲である、モーツァルトの『ハフナー』は、本当に難しい曲で、練習では悪戦苦闘の連続でしたが、本番でもかなり力の入った演奏になっていたようで、アンコールとして演奏したフィナーレの後半の演奏の方が力が抜けていて良かった、という声もチラホラと聞こえました。




自分のところを拡大してみた。
 

書いて頂いたアンケート用紙はすべて読みましたが、「毎年演奏が良くなっている」、「来年も楽しみにしています」と書いて下さった方が何人もおられた事を、本当にうれしく思いますね。
また、「今回初めて来たけれど、もっと前から来ればよかった」と書かれた方も何人かおられましたが、ぜひ来年はお友達も誘って来て頂きたいですね。
来年も8月最後の日曜日(28日)にやりますので、今から予定に入れておいて下さい。


プログラムのあいさつ文にも書いたとおり、バロック音楽から古典派を経て、ロマン派の音楽にまでレパートリーを広げてきた高山室内合奏団が、今一度古典派のモーツァルトと、たびたび取り上げて来たイギリスの音楽に立ち返り、演奏技術とアンサンブルの精度の向上を目指したのが今回の演奏会だったわけですが、今回の経験が、次の新しいレパートリーへの新たな第一歩になると思います。

飛騨地区には多くの演奏団体がありますが、常設の弦楽器の演奏団体は高山室内合奏団しかありません。
それ故、弦楽器の良さを皆さんに知って頂くためにも、歩みを止める事なく、活動を続けていきたいと思っています。



9月13日、改修された大八台のお披露目がありました。
この日は、残念な事に天気が良くなくて、ずっと蔵に入っていたようですが、2時過ぎに出かけて行ったら、天気が良くなり、ちょうど蔵から出るところに遭遇・・・・持っていた iPhone 4s でヴィデオ撮影しました。

大八台は、今回の改修と共に、組内で作曲された『大八曲』の演奏を復活させた事が、新聞などでも報道されましたが、子供たちの演奏する『大八曲』が、しっかりと聞こえるのがいいですね。
ちなみに、現在、高山の屋台で使われている囃子の中で、一番多く使われているのが、この大八曲を崩した『大八崩し』なんですが、その本家本元の演奏が復活するというのは、本当に素晴らしい事だと思いますね。






実を言うと、オレは子供の頃、親戚の小父さんに頼んで、この大八台に乗せてもらった事があるんですよ。(この前、小母さんから、祖母が酒を持って頼みに行ってくれたのだと聞きました。)
1969年の事で、あれから半世紀近くが経ったけど、その時の事は、今でもハッキリと覚えていますね。

夜祭の始まる前に、親戚の家で直衣に着替え、小父さんに連れられて、記念道路まで歩いて行き、屋台に乗ると、そこには3人の子がいて、小父さんがオレを紹介してくれました。
まぁ余所者ですから、当然最初は遠慮気味にしていたのだけれど、屋台が動き始めると、もうそんな事は関係なく、興奮状態で、他の子たちといろいろ話ながら、曳き別れを楽しみましたね。

小さなオープンリールのテープレコーダーから、貧弱な音で大八曲が流れていたのだけれど、どんな曲だったかは全然覚えていない。
でも、下二之町を上がって行った時、小父さんたちが「もうちょっと東」とか声をかけながら、進路修正しているのを面白く思っていたら、急に提灯が燃え出して、慌てて消したけど、格子天井の金色のところが少し煤けた事や、道端で明るいライトを付けた8mmカメラを構えた人から、太鼓を叩いてくれと言われて、ひとりの子が叩いたのだけれど、あまりにもぶっきら棒な叩き方だったので、もうちょっと違う叩き方があるだろう、って思った事、それから、ウチの近所の子が、屋台の中のオレをみつけて声をかけてきた事など、今でもハッキリと思い出せます。

記念道路まで戻って、屋台を降りる時、屋台組の人が「ほい、〇〇の代理人」と言ってキャラメルをくれたのだけれど、そのキャラメルは記念品として、しばらくの間、大切に持ってましたね。



高山室内合奏団のクリスマス ファミリーコンサート。


今年は例年と違い、土曜日が高山公演、日曜日が神岡公演になり、神岡公演は船津座ではなく、公民館で行いましたが、高山、神岡公演ともに、準備していた席がいっぱいになり、追加の椅子を用意する状態で、来て頂いた皆様には、本当に感謝しております。
今回のコンサートでは、ソプラノ歌手、ミュージックベルとの共演や、休憩時間のBGMとして、各パートトップ奏者による演奏など、初めての試みも幾つかありましたが、皆さんに楽しんで頂けたようで、うれしく思っております。

また、去年の定期演奏会で、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のソロを弾いてもらった村中一夫さんと、元団員で、いつも演奏会には参加してもらっている小瀬直統さんによる、ヴァイオリンとヴィオラの二重奏、ハルヴォルシェンの『ヘンデルの主題によるパッサカリア』は、すごい迫力で、最前列の男の子が食い入るように見ていましたが、その子が興味を持って、ヴァイオリンを習い始めてくれたらいいな、と思いましたね。

今回のコンサートでは、休憩時間に、各パートのトップ(+1)の6人により、モーツァルトのディヴェルティメントK136を演奏しました。
経験の長い人達の中に、経験の短いオレが交じるのはどうかとも思いましたが、せっかくの機会なので、挑戦させてもらいました。
LA FENICEの予約の入っていない日に、みんなで集まって練習を繰り返したのですが、なんとか形になったと思います。


休憩時間のBGMとして演奏したので、お茶を飲みながら楽しんでもらえたのではないかと・・・・

高山公演では、恒例の、(株)なべしまさんの協賛による、出来立てのポップコーンの配布がありましたが、今年は新作のミルクチョコレート フレイヴァーという事で、用意されていた260個が、すぐになくなり、急いで追加分を作って頂いたそうです。


また、神岡公演の際に、メモ用紙にびっしりとメッセージを書いて下さったお客さんがおられましたが、それを読んで、団員一同、感激致しました。ありがとうございました。

自分の事では、急遽司会をする事になり、慌てて原稿を作り、ぶっつけ本番での司会になりましたが、その所為もあって、1日目の高山公演では結構噛んでしまいましたが、2日目は少し落ち着いできたかな、と思います。
もっとも、そっちに気を取られため、演奏に関しては、集中力を欠いていくつかミスをしたのは反省するべき点ですね。

写真を撮っているヒマがなくて、あまり画像はありませんが、雰囲気だけでも・・・・










ウチでは、たいていの肉料理に子牛の骨付きロースを使うので、骨付きロースの塊から1本ずつに分けていくわけですが、その時に使うのが『骨スキ包丁』なんです。


年末のある日、その包丁を使いながら、ふと、その包丁を買った時の事を思い出した。
調理師学校時代に行った香港研修旅行の時、立ち寄った刃物専門店で、一番仲の良かった友人と一緒に買ったのだけれど、なぜ骨スキ包丁を選んだかというと、西洋料理の先生達が使っているところがカッコ良かったからという、実に単純な理由からでした。
就職してからは店の包丁を使っていましたから、使う事がないまま仕舞い込んでいたため、実際に使い始めたのは、LA FENICEをオープンした時からでした。

と、そんな事を思っている時、もう1本、骨スキ包丁を持っている事を思い出した。
ベルガモの Taverna del Colleoni で仕事をさせてもらった時、最後の日に Capo(カポ、チーフの事)が、記念にと言って手渡してくれたのだけれど、緑色の柄のついたその包丁も、使う事なく、パックに入ったまま、確か自分の部屋に仕舞い込んでいるはず・・・・

どうしてこんな事を思い出したのかなぁ、なんて考えながら、切り分けた肉を叩いていたら、その振動で骨スキ包丁が落ちた。
慌てて拾おうとすると・・・・なんと、真っ二つに折れていた。


なんかね、その包丁が折れる直前に、それを手に入れた時の事を思い出し、さらには、次に使うべき包丁の事まで思い出すなんて、偶然ではなく、その包丁が最後に思い出させてくれたのではないかと、そんな気がするんですよね。

翌朝、自分の部屋からイタリアでもらってきた包丁を探し出し、店の調理場へ持って来たのだけれど、ちょうどそこへ来た掃除のオバちゃんに、昨日こんな事があってねぇ、なんて話したわけです。

そしたら、なんか縁起が悪いですよね、って言われて、そういえばそうだなぁ、なんて思ったのだけれど、ちょうどそこへ、親戚の小父さんが亡くなったという報せが届いた。
後で聞いた話によると、小父さんの具合が悪くなった時刻は、包丁が折れた時刻と近いんですよね。

まぁ、これらの事を偶然と言ってしまうのは簡単だけれど、あれは『偶然』ではなく『必然』だったのではないかと・・・・そんな事を考え続けた年末年始でした。



年末のある晩、予約のお客さんの料理を出し終わったところへ、2組で5人のお客さんが来られて、カウンターが満席になった。
その中の1人のお客さんが、「今日は誕生日なんです」と言われたので、いつも誕生日のお客さんに出す、キャンドルを立てたジェラートを作って、そのお客さんにお出しした。


と、その隣に座っていたのが、テノール歌手の水口聡夫妻で、水口が Happy birthday to you. を歌ってくれた。
そのお客さんは、「うゎー、オペラ歌手に歌ってもらったよ」って大喜び。
「今日はここへ来て、本当に良かった」と言って帰られましたが、歌ってくれた水口に感謝!!

ちなみにそのジェラートは、6つに切り分けて、カウンターのお客さんとオレとで食べました。
Buon Compleanno!! Dottore MUICHI.



さて、なかなか書けずにいた2015年後半の出来事を、まとめて書いてみましたが、今年は、もっと更新の頻度を上げようと思っています。
自分が文章を書くようになったきっかけは、この『ひだっち』なんですから、最後に戻る場所はここだと思うんですよね。
Facebook の方と連携しながら、今までより短い文章のブログも書いていこうと思っています。


では、また。
Ciao. Arrivederci!!
  

Posted by spock at 00:01Comments(0)出来事

2015年12月27日

新しいパンフレットができました

Ciao. spockです。

皆様、ご無沙汰しております。
ちょうど半年ぶりに書いていますが、こんな長い間なにも書いていないにもかかわらず、毎日、数十人の方が見に来て下さっている事を、本当に感謝しております。

現在は店の事をすべてひとりでやっている状態なので、書きたい事があってもなかなか時間が作れず、Facebookの方に短い文章(といっても、他の人のよりは長いですが)を書く事でごまかしているのですが、やっぱり『ひだっち』は自分が文章を書く上での原点ですから、近いうちに、書いていなかった時期の事をまとめて書きたいと思っているわけです。

とはいっても、おかげ様で12月後半は、全ての日に予約が入っており、なかなか時間を作れない状態である上、実際に書くにはそれなりの時間がかかりますから、アップできるのは来年になってからだと思いますが・・・・

というわけで、今回はとりあえず「おしらせ」です。

LA FENICEの超マニアックなパンフレットが、新しくなりました。
12ページで始まったパンフレットも4thヴァージョンとなり、本文が2ページと写真集が2ページ増えて、24ページになりました。
表紙裏の写真集には、参照番号とページ番号がつけてあり、画像から本文を読むのも、本文から画像を見るのも、簡単にできるようにしてあります。

以前から画像を入れたいと思いながらも、技術的に難しい点があって躊躇していたのですが、11月に新しく導入したレーザープリンターのおかげで、作る事ができるようになりました。

また、以前相談した『岐阜県よろず支援拠点』のコーディネーターの方から頂いたアドヴァイスに従って、自分自身の事を書いたページを増やしてみました。
まぁ、自分自身の事といっても、自分の経歴や、10周年を迎えて思った事、それに、すごく影響を受けていると思う2人の祖父の事などを書いたのですが、読んでもらった常連のお客さんから面白いと言われたので、しばらくはこれでいってみようと思っています。
LA FENICEの事に限らず、イタリア料理に興味のある方に読んでもらえれば、いろいろと参考になる事があるのではないかと思います。

以前、ある常連のお客さんから「ここに書いてある事を憶えて、他の店で蘊蓄をたれるのが面白いんだよな」って言われた事がありますが、まぁ、そんな使い方もアリかと・・・・
店内のカウンターに置いてありますので、ご自由にお持ち下さい。


と、これで終わってしまうのでは淋しいので、上に書いた、新たに導入したレーザープリンターの事を書いてみます。

その存在を2年以上も前から知りながら、買うのを躊躇っていた、インターネット上では『神機』とさえ呼ばれているNECのレーザープリンター Multi Writer 5750C

7年前から販売されている機種なので、最新のプリンターのように、なんでもかんでも出来るわけではないし、ハガキが反り返るとか、手差しトレイを使うと歪むとか、弱点は知られているのに神機と呼ばれるのは、プリンターとしての基本性能が飛び抜けて優れているからだと思います。

長く販売されているため、リサイクルトナーも安く手に入り、専用紙を使う必要もないから、計算上のランニングコストは、インクジェットプリンターの半分以下になるし、高品質ペーパーを使えば、両面に写真印刷も可能。
インクジェットプリンターに比べ、写真のプリントが良くないと聞いていたけれど、少し濃い目にプリントされる他は、全く遜色ないレヴェル。むしろ表面にツヤがあって、高級そうに見えるくらい。
それに、なんと言ってもプリントのスピードが速い・・・・もっと早くに導入しなかった事を後悔してます。

さて、このプリンターをさんざん褒めたけど、もちろん欠点もあります。と言っても、今のところ感じているのは2つだけなんだけれど。
1つ目は、その大きさ。実際の大きさを解りやすく言うと、インクジェットプリンターの奥行きを1.5倍に、高さを3倍にしたくらいで、重さは19㎏。だから置き場所は限定されますね。
2つ目は、紙の周囲の約4㎜が印刷不可能な事。当然、フチなし印刷はできません。
この2つの点が問題にならなければ、買って損はしないと断言します。

値段は、メーカー希望小売価格が税込みで96984円なのだけれど、実売価格は税込みで、85% off の13980円。
これが『神機』と言われる一番大きな理由かも。
ちなみに、リサイクルトナーは、4色セット+黒1本の5本セットが5000円以下で売られています。
プリンターを買う予定のある人は、これを選択肢の1つに入れてもいいのでは。


では、また。
Ciao. Arrivederci!!  

Posted by spock at 10:05Comments(1)出来事料理

2015年06月27日

10周年感謝パーティー、準備中!!

Ciao. spockです。

いつ潰れても不思議じゃない、と思いながらやってきたけれど、10周年を迎えることができます。
今夜は、10周年感謝パーティー。
現在、準備中です。







パーティーの様子は、後日アップしますね。

では、また。
Ciao. Arrivederci!!  

Posted by spock at 17:34Comments(0)出来事料理

2013年07月17日

8周年感謝パーティーの報告

Ciao. spockです。

7月も、もう半分が過ぎましたねぇ。
6月は、ラ フェニーチェ史上最低と言ってもいいほどヒマだったので、もうウチも終わりかな、って思っていたのですが、7月はその反動なのか絶好調で、ありがたい事に、仕事に追われています。
また、高山室内合奏団の第10回記念定期演奏会が近づいている事もあって、その練習にも追われていますが、ある意味で、充実した時間を過ごしているのかもしれませんね。

ついでに宣伝させてもらうと、高山室内合奏団の第10回記念定期演奏会は、8月25日(日)の14時から、飛騨世界生活文化センターの飛騨芸術堂で行われます。
演奏するのは、ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』と、ヘンデルの『水上の音楽』から抜粋です。
入場は無料で、高山バスセンターからの無料シャトルバスも運行されますので、ぜひ聴きに来て下さい。
昨日の練習で『運命』の第1楽章をやっているところを、岐阜放送が撮影していきましたが、7月22日(月)の18時から『飛騨國テレビ』で放映されるそうです。
管楽器の人達が揃わなかったので、音の抜けているところが結構あるし、テレビカメラの前で緊張して、間違った音を出しているところもあるはずですが、その熱気は感じてもらえると思います。


そんなわけで、盛況のうちに終了した『8周年感謝パーティー』の事を書きたいと思いながら、なかなかまとめるヒマがなく半月が過ぎましたが、遅れ馳せながら報告させてもらいます。

今年は20数名の方に参加してもらえましたが、人数的にはベストだったんじゃないかと思います。
去年は30名を越えたため、オレ自身がパニック寸前の状態だったという経験をしているので、その分今年は落ち着いて料理を作る事ができました。
毎年手伝ってくれる妹も慣れたもので、洗い物や料理を運ぶ合間に、きっちりすべての料理を味見していましたからね。

パーティーの後、空になったワインのビンやビールの樽を見てみると、去年より人数が少なかった分、少なかったのですが、料理に関しては、去年より多くお出ししたと思います。
それだけ皆さんに、料理を楽しんでもらえたのでしょう。。


例によって、写真を撮っているヒマなんかなかったので、初めと終わりに撮った何枚かの画像と、お出しした料理の説明で、8周年パーティーの状況を書いてみようと思います。
料理の一部の画像は、DEBU-NOTEさんがブログで紹介してくれたので、そちらを見て頂ければいいかと。

また、今年もたくさんお花やプレゼントを頂きました。





DEBU-NOTE さんは、今年もMr.Spockのフィギュアを持ってきてくれましたが、さらに後日、こんな時計を届けてくれました。

日本では出回っていないものだそうで、わざわざオークションで落札して手に入れたのだとか。
本当にありがとうございます。


では、お出しした料理と、その説明をしましょうか。

Prosciutto crudo 生ハム  24ヶ月熟成の生ハム
Salami alla milanese ミラノ風サラミ  細かい脂の入ったサラミ  
Coppa コッパ  豚の肩のハム

Caponata カポナータ
  野菜のトマト煮込み
Insalata di frutti di mare 海の幸のサラダ  
  ボイルした魚介類にアンチョビのきいたドレッシングを合わせて
Asparagi alla milanese アスパラのミラノ風
  茹でたグリーンアスパラと半熟の卵にパルミジャーノ レッジャーノと焦がしバターをかけて仕上げてあります
Fritti di gamberetti alla lionese エビのフリット リヨン風野菜ソース
  揚げたエビに酢のきいたソテーオニオンを合わせて
Verdure cotte al burro e pane grittato 温野菜のパン粉入り焦がしバターソース
  茹で野菜にパン粉を加えて焦がしたバターをかけたもの

  
Spaghetti alla puttanesca 娼婦風スパゲッティ
  揚げたイワシとオリーヴを加えた辛口のトマトソース
Linguine al burro e limone リングイーネのレモンバターソース
  自家製のリングイーネにレモンバターソースを合わせた「知る人ぞ知る」人気裏メニュー
Gnocchi di patate alla piemontese ジャガイモのニョッキ ピエモンテ風バターソース
  独自のレシピで作ったニョッキをシンプルなバターソースで
Fettuccine al'Alessandoria フェットゥッチーネのベーコン入り辛口トマトクリームソース
  自家製のフェットゥッチーネにベーコンの入った少し辛口のトマトクリームソースを合わせて
Penne rigate ai quattro formaggi ペンネリガーテの4種チーズソース
  ペンネリガーテに生クリームで溶かした4種類のチーズのソースを絡めたもの 
Maccheroni fatto in casa al pomodoro e salsciccia 手作りマカロニのソーセージ入り辛口トマトソース
  一本一本手作りのマカロニに生ソーセージを炒めて加えた辛口のトマトソースを合わせたもの

Pollo alla Marchesi 鶏のマルケージ風トマト煮込み
  鶏をワインヴィネガーとトマトで煮込み生クリームを加えて仕上げたもの
Pollo alla diavola 鶏の魔女風鉄板焼き
  背開きにした鶏に重石を載せて鉄板焼きにしたもの  ちなみに、背開きにした鶏の形が魔女のシルエットに似ているので alla diavola (アッラ ディアーヴォラ) 魔女風というわけです 

Costoletta di vitello alla milanese 子牛骨付きロースのミラノ風カツ
  詳しいことはこちら

Insalata al pomodoro トマトドレッシングのサラダ
  ウチの定番であるトマトドレッシングのサラダ


今までに食べてもらった事のないものもいくつかありますが、本当の意味で今回初めてお出ししたのが『鶏のマルケージ風トマト煮込み』です。
今から30年近く前、いわゆる『新イタリア料理』を打ち出し、ミシュランのガイドブックのイタリア版で最高評価を得ていたリストランテ『マルケージ』の料理で、白ワインの代わりにワインヴィネガーを使い、煮込み野菜(ソッフリット)の代わりにニンニクだけを使うという、斬新でありながら、イタリア料理のシンプルさがいかされた料理だと思います。
実を言うと、この料理を作るのは20数年ぶりだったのですが、好評だったので、コースに組み込む鶏料理として作っていこうかと思っています。


来て下さった方全員を写す事はできなかったのだけれど、その一部の写真です。

料理を楽しむのであれば、カウンター席は最高ですね。


パーティーの常連と、初参加の方が談笑。


初めて参加してくれた、同窓生の加藤君。 後ろには垣内先生と鴨宮さん。


山ちゃんとDEBU-NOTEさんも談笑中。


内記さんと西先生夫妻。


飲みながら、話もはずむ。


山ちゃんや、ブレス編集部の人も、堪能してもらえたようです。


仕事を済ませて駆けつけてくれた水口聡と、清水夫妻。


また、カウンターで料理を作るのを見ていた中田祐一君が、リアルタイムでFacebook に画像をアップしてくれましたが、こちらこちらで見れます。


今回、ひとつ重大な失敗をしてしまいました。
毎年このパーティーを楽しみにしてもらっている、奥飛騨朴念そばの会会長の石田さんには、いつも真っ先に連絡を差し上げているのですが、今年は連絡のミスで来て頂けなかった事を申し訳なく思うとともに、改めてここでお詫びしたいと思います。


毎年、これが最後のパーティーになるかもしれない、と思いながらやっているわけですが、来年また、9周年のパーティーができるように頑張っていきたいですね。
9年目に入った LA FENICE を、これからもよろしくお願いします。

では、また。
Ciao. Arrivederci!!  

Posted by spock at 08:02Comments(0)出来事料理