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2008年03月03日

総和保育園

Ciao. spockです。

ここ数日、やっと春が近づいてきた事が感じられる陽気になってきましたね。

この2月は、おかげ様で忙しく、定休日も半分は営業したのですが、月末の支払が終って店の通帳を見ると・・・・残高が全然増えてない・・・・
しばらく落ち込みましたが、すぐに立ち直れる・・・というか、嫌な事はすぐに忘れる性格のおかげで、3月も前向きに頑張れそうです。

本題に入る前にひとつ・・・・
先日、ひだっちブログ経由でメールが来ました。
匿名のメールなのですが『お願い』という題で「もう少し店の事を詳しく書いていただけると、遠方の友達にも紹介できるので、ぜひ書いてください。」という内容のものです。
で、返事を出したのですが、戻って来てしまったのですよ。
もし、このメールを出された方が読んでおられたら、店の何について・・・というか、どのような事について詳しく書けばいいのかお報せ下さい。


さて、昨日は、花・花さんのブログにも書かれていた『総和保育園感謝デー』に行って来ました。

ここへ来るのは、もう三十数年ぶりです。
妹もここへ通っていたので、小学5年の頃、よく迎えに来たのですよ。
近所の、同じ学年で、やはり妹と同じ歳の弟を持つO君と一緒によく来たものです。
O君と二人で裏庭へまわり、窓から中を覗いた事を憶えています。

細かいところは少し変わっていますが、建物自体は全然変わっていないですね。


玄関を入ってすぐ左は職員室でしたが、今は図書室みたいになっていました。


玄関の右が遊戯室・・・オレたちは『広間』と呼んでいました。
そのせいか『東京五輪音頭』を聴いた時、『あの日ローマで、え〜眺めた〜月を〜』という出だしを『あの広〜間で』だと思って、月の見える広間ってどんな広間だろう、って真剣に考えた事を憶えています。

今見ると、こんなに狭かったのかな、って思いますけど、あの頃は充分広いと思っていたのですよね。
壁にかけられている『金太郎』の絵も懐かしい!!

夏になると、全員が小さな布団を並べて、ここで昼寝をしたんですよ。

金太郎の絵のすぐそば、一番玄関よりの窓の上の方に、スピーカーの台座が残っていました。
昔はここに、ラッパ型のスピーカーがついていて、外にも内にも向けられるようになっていたのですよ。
先生が窓によじ登って、外で使う時と広間で使う時、向きを変えていましたね。

玄関奥の廊下を左へ行くと、突き当たりがトイレ。
昔は手前半分が男児用で、単に溝があるだけでしたが、今はすべて個室になっていますね。


トイレの右手前が倉庫で、その手前を右に曲がると、右側に給食室と手洗い場、左側に教室が並んでいます。


今はクラスの名前も変わっていますが、昔は手前から、年長組の『雪組』と『月組』、年中組の『星組』でした。
その突き当たりが、今回はスライドを見せる部屋になっていましたが、昔は突き当たりに小さな畳敷きの和室があり、その手前に左に折れる廊下があって、その廊下の右側(和室の隣)が年小組の『花組』、突き当たりが年中組の『桃組』、でした。

それぞれの組の色の、桜の花の形の名札を、スモックの胸につけていました。
オレは2年保育でしたから、1年目が桃組、2年目は雪組でした。
今回は、その桃組の教室を見る事が出来ませんでしたが、裏庭に飛び出した形の桃組の教室が、一番環境的に良かったと思いますね。

昔、星組だった部屋で、総和保育園の歴史とも言える、アルバムが公開されていました。
オレが通っていた年代のアルバムを見ると、その当時のオレが見つかりました。
カメラを向けられると、必ず他の子とは違った顔やポーズをしていました(要するに、その頃から目立ちたがりだったんでしょう)から、こういう時には見つけるのが簡単です。

雪組の教室を覗いてみました。

中へ入ると、こんなに狭かったかな、という感じがしましたが、それよりも、椅子の小さい事!!

当時は木製の椅子でしたが、今のオレなら、2つ積み重ねてちょうどいい位でしょうか。

雪組の向かいが給食室で、その隣に手洗い場があります。

今はステンレスの流しで、湯沸器もついていますが、昔はタイル張りの流しで、もっと狭かったような気がします。
冬、風邪が流行ると、みんながここに並んで、家から持って来た水筒の水でうがいをしたものです。

オレが通っていたとき、こんな物ができたのですよ。

ちょうど『オバQ』のような形の遊具で、『プレイスカレプチャー』というのが正式な名前だと、当時新聞で読んだ母が教えてくれました。
この外側の球面を、鎖を使ってよじ登れるようになっていましたが、今だったら、危険だということで許可されないでしょうね。

オレはこのプレイスカレプチャーが大好きで、休み時間になると真っ先に飛んで行って、てっぺんに立ててある、総和保育園のマークの描かれた鉄板をグルグル回して遊んでました。

オレは当時公開された『怪獣大戦争』という映画(内容は『X星人』が怪獣を操り、地球を征服しようとする話なんですが、オレはこの作品が怪獣映画の最高峰だと思います)にものすごく感銘を受けていて、プレイスカレプチャーをX星人のUFOに見立てて『X星ごっこ』をよくやりました。
まぁ、今考えると、ませたガキだったんでしょうけど・・・・

飛騨総社の参道をはさんで、園庭があります。

昔は、一番奥に、丸太の枠のブランコがあったと思います。
手前に見えるレンガ造りの門は、運動会の時に、張り子のキリンが乗せられて、入場門になったのですよ。


総和保育園での最初の年、桃組の受持ちはM先生でした。
歌の上手な本当にやさしい先生でした。
当時M先生は、保育園のすぐ隣の家に住んでおられたのですが、その年の秋(確か11月の3日だったと思う)に結婚されて、家が遠くなってしまった、と言っておられたのを憶えています。

2年目の雪組の受持ちはI先生でした。
オレは子供でしたから何も解らずにいましたが、I先生の兄上は仕出し屋をやっておられ、オレの祖父のところで働いた事もあったそうで、そんな関係でI先生はオレの事をよく知っておられたのだそうです。
当時オレはメチャメチャ色の白い子供だったそうで、病的なまでの白さを心配したI先生の紹介で、卒園直前に、ある医院に検査に行った事がありました。
数年前、その事を思い出して、母にその時の結果を聞いてみたところ、「健康そのもので全く問題はない」と言われたのだそうです。
まぁ、病的なまでに色の白かった子供も、今ではオッサンになりましたが・・・・


総和保育園に通う子供は、たいてい家から歩いてきていましたが、中にはバスで通ってくる子もいました。
そういう子たちと中山中学校で再会した時、うれしかったですね。


総和保育園は、この春から西小学校に併設されるわけですが、近い将来、オレが結婚して子供が出来たら、きっと総和保育園に通わせる事になるんでしょうね。
そうなれる事を願っているのですが・・・その前に嫁さんを見つけないと・・・・


では、また。
Ciao. Arrivederci!!  

Posted by spock at 21:18Comments(9)